勇者の谷

Heroes of the valley.

出 版 社: 理論社 

著     者: ジョナサン・ストラウド

翻 訳 者: 金原瑞人

発 行 年: 2009年08月


<  勇者の谷   紹介と感想 >
勇者が剣をベルトにさして歩いていた時代は既に過ぎ去り、数々の武勇も、もはや伝説でしかなくなっていた。すべての剣は溶かされ、今は、誰も剣など持っていない。各村を治める領主同士に小さないざこざが発生することもあったが、領主たちの合議制により、もめごとは収束されている。パワーシフトを見極めながらの政治的な駆け引きをすることが処世術だが、それぞれが勇者の血を引く末裔である領主たちは、やや不遜で傲慢なところがある。このため、領主同士の外交には絶えず緊張感が潜んでいた。高台の領主、スヴェンソン家の二男として生まれた少年ハリは、うっ屈を抱えていた。家を継ぐのは兄であり、自分は兄の小作として生きていかなければならず、将来には希望がない。祖先である勇者スヴェンが怪物トローと死闘を繰り広げたことはおとぎ話で、そんなものの存在を信じるのはバカげているとされていたが、彼はひそかに冒険への憧れを持っていた。ある時、ハリが仕掛けたイタズラが原因で、慕っていた叔父が有力な領主の弟に殺されてしまう。暴力をもっての争いごとはご法度であり、すべてのトラブルは合議の裁判で解決されなければならないが、ハリの怒りと後悔は収まらず、個人的な復讐を果たそうと、家に伝わる勇者のベルトとナイフを手に、単身、敵陣に乗り込む。そして、この軽率な行為が、もっと大きな争いを引き起こすことになるのだった・・・。

剣と魔法の好戦的なファンタジーかと思いきや、意外にも閉塞した場所で、農耕と牧畜で穏やかに生きる人たちのお話でした。閉塞せざるをえないのは、人々が脅威から守られている安全な世界にいるからだとも言えます。粗野で乱暴だった時代の勇者たちはトローと最後の闘いを挑み全滅したものの、トローを荒野に封じ込めることができたたおかげで、現在の人々は平和で暮らせるようになりました。その代償として、谷の向こうの荒野には出ることができず、狭い世界で人々は生きることになっています。それぞれの村で、勇者の末裔である領主の家は、政治をつかさどり、争いごとを裁くリーダー的役割を果たしていますが、まあ、そんなに面白味がある生活だとはいえません。家を継ぐこともなく、自分の存在意義も良くわからないハリは、先祖である勇者の時代に思いを馳せることしかできない。未知の世界が谷の向こうの荒野には広がっているけれど、(トローの存在はもはや信じられていないのに)掟で出ることを禁じられている。しかし、少年がこの閉塞感を打破するには、やはり、外の世界に一歩を踏み出すしかないのです。醜い外見をした悪童であるハリですが、賢く、素直なところもあり、失敗の連続から少しずつ学んでいきます。クライマックスでは、彼が、兄に変わって領民のリーダーとなり、機知を発揮して敵を迎え撃つ戦いが描かれていきます。これは、なかなか興奮させられる展開です。物語に並走するかつての勇者の伝説は何を語ろうとしているのか。早く続きが読みたくなる、そんな物語の魅力がありました。

キャラクターたちの大いなる魅力。作者であるストラウドは、あの『バーティミアス』三部作の作者ですが、あの主人公と同様に、この作品の主役であるハリも、素直ないい子ではありません。ちょっと短慮で、憎たらしいところもある少年です。無論、憎めないところもあるからこその主人公であり、彼なりの魅力は存分に伝わってきます。そして他の登場人物たちとの関係性も、彼の個性ゆえに複雑になります。実際、この物語に登場するキャラクターたちの造詣は、qなかなかアクがあって一筋縄ではいきません。ハリはどうも人から信用されないし、信望を集めることも難しい。時代は変わり、勇者は待望されていない世界なのに、それでもハリが闘うのはなんのためか。唯一、他の領主の娘であるアウドだけが、憎まれ口を叩きながらも、ハリとの信頼関係を築いていきます。彼女が実に生意気で、なかなかいいのです。かつての勇者たちの伝説と、現在のドラマが混ざり合い、新しい勇者の物語を生みだします。単純なヒロイックファンタジーではない、新しい物語の魅力にあふれた作品でした。

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