父さんと、キャッチボール?

もう、ジョーイったら!2
Joey pigza loses control.

出 版 社: 徳間書店

著     者: ジャック・ギャントス

翻 訳 者: 前沢明枝

発 行 年: 2009年09月


父さんと、キャッチボール?  紹介と感想  >
「パッチをあてる」という言い方は、コンピュータの補正プログラムを追加する際に良く使います。新しいウイルスへの対応や故障箇所があった際に行う治療薬投与です。パッチとは、パッチワークのパッチで、ツギハギの布を被せて破れたところを補正するというイメージのようです。ところで、神経系の貼り薬のこともパッチと呼ばれています。飲み薬と違い、少しずつ皮膚に浸透して効果を持続させるもの。破れている心を修復するツギアテ。禁煙用のニコチンパッチなどが知られていますが、この「もう、ジョーイったら!」シリーズの主人公、小学四年生のジョーイが施されたのも、このパッチ治療です。前作(『ぼく、カギをのんじゃった!』)でADHD(注意欠陥・多動性障害)を解決するために特別支援センターで指導を受けたジョーイは、このパッチ治療のおかげで、ようやく落ち着いて日常を過ごせるようになりました。今回は、ジョーイが小さな頃に家を出ていったまま母さんと離婚した父さんと、しばらく一緒に暮らすというお話です。ジョーイがそのまま大人になったようなカゲキな父さんと、ジョーイは上手くやれるのでしょうか。

一秒たりとも落ち着いていられない子、ジョーイ。いつも目の前がグルグルと回っているような精神状態。騒がしくてやんちゃな子、というレベルではありません。彼は情緒障害ではなく、もっと病質的な問題を抱えていたのです。前作で、診療を受け、治療薬の継続的な投与によって、ようやく安定したジョーイ。以前の落ち着きのなかった自分自身の状態に戻ってしまうことを恐れて、パッチを貼ることを欠かしません。ところが、しばらく一緒に暮らすことになった父さんときたら、そんなものは止めてしまえと言うのです。「根性があれば普通でいられる」という精神論です。ドクロのイレズミを入れたアルコール依存症の父さんは、かなり無茶苦茶で、自分のニコチンパッチだってベリベリと剥がして、煙草をガンガン吸うような人。ずっと離れていたジョーイのために父親らしいことをしてあげたい、と考えている優しさもあるのですが、やや常道を外れているのが難点。さて、父さんが監督をしている少年野球チームでピッチャーになったジョーイは、剛速球で活躍します。でも、だんだんと薬が切れてきて、あの目茶苦茶だった精神状態が戻ってきてしまうのです。さあ、ジョーイは大事な試合でちゃんと投げきることができるのでしょうか。

相変わらずスゴイ作品だな、と思います。物語の中の子どもを、客体的に分析したり、例証することはありますが(それこそ「ジャイアン・のび太症候群」のように)、騒がしくてやんちゃな子を、物語の中で、そのまま病理として捉え、化学的治療を施して、その内面世界を変える、という児童文学の登場には驚かされました。母さんも、父さんも、おばあちゃんも、決して品行方正ではない、ちょっと困ったところのある大人です。そうしたリアリティの中にいながら、それでもジョーイが悲惨な少年ではないのは、かなり不器用だとはいえ、家族の愛情がここにはあるからなんです。パッチを貼るな、というのも父さんなりの情愛からのアドバイスでもある。そうすれば普通になれるんだ、というわけです。困った大人である父さんの性格が、劇的に変わることはないし、ジョーイとしても離れて暮らしていた方が良さそうです。そういう現実的葛藤を感じさせつつ、皆、憎めないところがあるのも、このシリーズの凄味ですね。ところで、「薬なんて飲むから余計、具合が悪くなるんだ」という余計な忠告をする人のせいで、薬を手放してしまい、余計、症状を悪化させる人がいます。精神系の病気の人間は、心が弱っているので、当たり前のような顔でそうアドバイスされると転んでしまうのです。僕も薬を飲み続けていますが、薬を飲んでバランスがとれているのならそれでいい、と思うようにしています。対症療法で根治はしないはずなので、ジョーイもずっとパッチを手放せないのだろうけれど、それもまた「普通」の形なのだと思ってくれたらいいのだけれどな。

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