ベランダのあの子

出 版 社: 小峰書店

著     者: 四月猫あらし

発 行 年: 2022年10月

ベランダのあの子  紹介と感想>

父親からの虐待に苛まれる子どもを描いた物語です。近年、国内児童文学は虐待ブームになっており、モラハラ父さんDV父さんの物語が頻出しています。本書が刊行されたのは2022年11月で、やや出遅れた作品となっています。とはいえ、もともとが新しくて古いテーマであり、光の当て方によって輝き方が増していく、まだまだ磨かれるべき題材かと思います。まあ、嫌なブームです。現実にこうした問題がはびこっているという証です。物語に描かれる昭和のカミナリ親父と、令和のモラハラD V父さんの違いとして、「粘着質」という点があげられます。一本気なら怒鳴ってもいいわけではありませんが、父親の気性がどうにもネチネチしているあたりが考えさせられるところです。子どもの揚げ足を取り、嫌味を言うタイプです。もうひとつの特徴点は、機嫌が良い時はとても優しいという二面性があることです。このため、家族は常に父親の機嫌を伺うことになります。いつ逆鱗に触れて爆発するか分からない。そんな父さんの取り扱いについては、家族なりに対処法を編み出して、なんとか沈静化させることに成功している事例もあるでしょう。それはそれで表面化しないまま燻っていく問題があります。本書はまたエリートのモラハラDV父さんで、社会的には成功しているタイプの人であるがゆえに、外からはその家庭内の軋みが見えにくいという弊害もあります。これも働かず昼から酒を飲んで暴れている方が良いというわけではありません。顕在化しにくいことで、うっかりすると、自分の家はまだマトモな範疇だと家族が我慢してしまうことが恐ろしいのです。児童文学としての物語性や文学性を棚上げにして、ケーススタディとして物語の家庭の問題ばかり考えてしまうのが問題作の問題点です。読むべきは、モラハラDV父さんが君臨する、かなり危うい家庭に置かれた主人公が、このサイコパスめいた父親に対峙して、いかにして自我を保ち、勇気を奮い、ここからサバイバルできたかという心の軌跡です。とはいえ、やはり社会や学校の対応のベストプラクティスを考えたくなるあたりは、重すぎる題材の難点ですね。第20回長編児童文学新人賞受賞作です。

颯(はやて)はこの春から小学六年生になる少年です。成績優秀で中学受験のために塾にも通っています。マンションの最上階に住み、ゴールデンウィークには毎年、家族でハワイに旅行に行く裕福な家庭。大手商社に勤める父親と専業主婦の母親。なに不自由のない生活。けれど、颯は父親の厳しい躾に息が詰まるような思いをしていました。成績がちょっとでも下がれば颯を罵り、蹴り飛ばす父親は、止めようとする母親も張り飛ばします。いつも身体にアザを作られていながらも、颯はこのことを誰にも知られてはならないと思っていました。ベランダから飛び降りてしまいたいと思い詰めながらも、颯は父親をいつも失望させている自分に嫌悪感を覚えていました。殴られる自分が悪い。父親を憎むのではなく、父親をがっかりさせる自分がいけないのだと颯は思っています。そして、友だちの前では、親からたたかれているような惨めなやつだとは思われたくないと、そんなそぶりを見せようとはしません。父親に何も言えない母親は、世の中にはもっとひどい家があるのだと颯を諭します。そんな颯のマインドコントロールが解け始めるのは、家のベランダから見える向かいのアパートのベランダに、自分と同じように閉め出された女の子を見たことからです。泣いているベランダのあの子は、虐待されているのかも知れない。その思いが自分自身の境遇を見つめ直す契機になります。「殴られれてもいい人間なんて、いないってこと」という友だちの理(さとし)が口にした何気ない言葉が、颯の心に突き刺さっていきます。止まない父親の罵倒や暴力にただ謝り続ける颯が、ベランダのあの子のことを慮り、その危機を救おうとする中で、自分自身を救い出すことにようやく一歩を踏み出します。シンプルな物語の中で、颯が逡巡しながらも、自分は悪くないのだと、助けを求めて良いのだと気づいていく姿には力づけられます。

印象に残ったのは学校の対応の描き方です。児童の家庭環境には深入りしないものかも知れませんが、やはり子どもの今そこにある危機を見過ごすわけにはいかないものでしょう。友だちの理に勇気づけられ、これまでの葛藤を越えて、ついに意を決して保健室の先生に相談に行った颯が、すげなくあしらわれるという場面には驚かされました。ちゃんと話を聞いてくれないし、取り合ってもくれないという、予想外の展開です。ただそれは前フリであって、やや頼りない感じの担任の岩木先生が、颯の状況を的確に理解して、素早くシェルターへの避難に導くくだりには救いがあります。とはいえ、この展開は先生の個人資質に頼っているところもあって、保健室の先生の対応も実になんですが、先生個人による対応の差異を認めるものになっています。現実の学校は先生の資質によらず、組織的にちゃんと機能していて欲しいと思いたいところです。実際、会社でもパワハラセクハラ問題の相談窓口が人事労務の公式なものではなく、医務室が担っていたりと、個人の関係性で成りなっているケースもあります。まあ、まだ相談できる場所があるのはいい方ですが、組織としての機能に期待したいものです。つい、現実の問題として考えてしまいがちですが、児童文学としての焦点は颯の心の軌跡です。父親の行為が虐待ではないと否定を重ねながら、それを認めるまでの長い逡巡がこの物語の焦点です。興味深いのは、颯が自分の中にある父親と同じ気質を意識してしまうくだりです。つい同級生の女の子を怒鳴りつけてしまう自分。読者は、彼がこのままこの歪な家庭に縛られていたら、父親のようなモンスターになる予見を与えられています。担任の先生の機転でラッキーにも救われた少年は、この傷ついた心を自らどう修復していくのかにその将来が担わされていると思います。まったくもって、子どものせいではないのに、重い十字架を背負わされている。自助だけではなく、ここには社会的なケアが必要ですね。