王の祭り

出 版 社: ゴブリン書房

著     者: 小川英子

発 行 年: 2020年04月

王の祭り  紹介と感想>

1575年。ケニルワース城を訪れる英国女王エリザベスの歓迎式典で、周辺にある七つの学校の生徒たちが、女王の得意な七カ国語で挨拶を披露する準備が進められていました。エイヴォン町に住む手袋職人の息子のウィルは、自分の通う学校に割り振られたラテン語のパートも、暗誦も得意なはずなのに、練習でつっかえてばかり。ついに挨拶のメンバーから外されてしまいます。自分だけ取り残され、女王を拝謁できない悔しさを噛み締めていたところにチャンスが巡ってきます。女王が失くした手袋の片方とそっくり同じものを作ることになった父親の手伝いで、ウィルはケニルワース城に行くことになるのです。実はウィルは祖母に教わった秘術で、森で妖精のパックを捕まえて、「女王様がいらっしゃるあいだに、ケニルワースにいって祭が見たい」という願いをかけていたのです。満貫成就して、ケニルワース城に行くことになったウィルですが、思わぬなり行きから、女王の前で芝居を演じる一座の少年俳優の代役を演じることになります。しかも、舞台上で本物のエリザベス女王様に手紙を渡すという大役です。ところが、この手紙には、女王暗殺を目論む一団の陰謀が隠されていました。女王の危機を知ったウィルは、女王を守るため、妖精パックの力を借りて、不帰の森へと馬車で向かいます。女王の命を救ったものの、その馬車の馭者もまたこの世ならぬものであったために、驚くべき場所にウィルは連れて行かれることになります。少年の邪気のない願いと、きな臭い政治情勢の中で生きる女王の苦衷を描きながら、一気に加速する物語は、死神の操る馬車に乗りファンタジーワールドへとつき進んでいきます。ここまででも充分に奇想天外なのに、さらに驚くべき展開がこの物語には待ち受けています。

さて、その頃、日本はどうなっていたのかと言えば、下剋上の世の中、つまりは戦国時代の渦中にありました。天下統一を目前にした織田信長が、安土城で謁見することになったのは、なんと英国から、この世界に飛ばされてきたエリザベス女王です。死神の馬車の軌道を逸らしたために、エリザベス女王とウィルたちは遥か遠く日本に軟着陸していました。信長の家来である黒人の侍、弥助の通訳によってコミュニケーションをはかることができた一行は信長に歓待されます。安土城の凝らされた意匠や、きめ細やかな細工や配慮に目を奪われる女王は、噂に聞いていた黄金の国、日本とその王、ノブナガに感銘を受けます。女王が帰国するための船の建造を約束した信長でしたが、実はここは、英国から飛ばされた時から7年後の世界の1582年。つまり本能寺の変が起きた年だったために、その約束は果たされないものとなります。さて、エリザベス一行の運命はどうなるのか、ということで、かなりの奇想につぐ奇想の展開に驚かされる物語です。ただ荒唐無稽なお話ではなく、時代の政治情勢や文化が詳しく描き出されており、和洋どちらの人々の心情も同じように丁寧に描かれ、親近感が湧くのです。エリザベス女王は、親族でも殺し合わねばならない王道を歩むノブナガの覚悟にシンパシーを感じます。ウィルもまた、軽業や奇術などの興行を見せる一座の娘、お国と親しくなります。動乱の続く過酷な世界を生き抜くお国の心の機微もまた、この物語の読みどころです。時空を越えて交わったお国とウィルの時間。この後、出雲に行くことになるお国と、エイボンの少年、ウィルが、それぞれ稀代のクリエイターとなる運命であることは、読者の心のうちにあれば良いことですが、未来の可能性を未然のまま持つ少年と少女の奇跡の出会いが、両者に影響を与えたという想像は興奮させられるところです。

読みどころが沢山ありすぎて、さらに展開が早いので、倍のページはあっても良かったと思うほどです。史実にも裏打ちされた作品であり、読後も歴史的な背景を調べたくなります。同じエリザベス朝を舞台にした児童文学作品の『時の旅人』や『シェイクスピアを盗め!』や『影の王』などの翻訳作品も思い浮かびましたが、それらに引けをとらない風俗描写も興味深いところでした。もちろん、国内作品との連関も思い浮かぶところで、『くろ助』でおなじみの信長の家臣、弥助が登場するのも嬉しいところ。脇役の一人一人が主役クラスのキャラクターであるし、そもそも信長とエリザベス女王の対面や、二人の共感など、想像したことさえないものを見せられては、驚かざるを得ません。面白すぎる。なんといってもキャラクターが際立っているのが、妖精パックです。気まぐれで適当でいたずら好きで、忘れっぽい。悪い奴ではないが良い奴でもないという、実に伝統的かつ本格的な妖精キャラクターなのです。それでもなにかと人を歓ばせようとするのは憎めないところ。そんなパックが、日本で、妖狐である五条ぎつねの力を借りて、英国に帰る方法を探すという、洋の東西を越えた関係もこの物語全体を象徴しています。この東西対決には、それぞれ対比関係があるのですが、妖精と対になるのが妖狐という選択だけでも相当、語るべき点です。そういえば、画家のゴッホが死後、時空を超えて、葛飾北斎に会いにくるという『時の扉をくぐり』という奇想の物語もありました。少なからず文化交流はあった時代でも、直接、外国人同士が顔を合わせることはなかったわけで、ファンタジーならではの設定なのだけれど、ロマンを満喫できる楽しさに溢れていますよね。