出 版 社: 文研出版 著 者: ヴァレリー・ゼナッティ 翻 訳 者: 伏見操 発 行 年: 2019年04月 |
< 瓶に入れた手紙 紹介と感想>
2003年のエルサレム。イスラエル建国以降、多年にわたって争い続けてきたイスラエルとパレスチナの悲惨な戦闘の歴史は更新され続けていました。三次に渡る中東戦争を経て、1993年のオスロ合意で和平の兆しが見えたのもつかの間、イスラエルの侵攻とパレスチナの蜂起は繰り返され、二十一世紀に入っては自爆テロの形で悲劇の応酬が続いています。エルサレムに住むイスラエル人の十七歳の少女、タル。頻繁に繰り返される自爆テロによって、罪のない人々が被害に遭うことに彼女は胸を痛めていました。結婚を前にした若い女性がテロの犠牲になったことを見るに及び、タルにはある思いが湧き上がります。自分もまたテロの犠牲になって、死んでしまうかも知れない。そんな簡単に吹き飛ばされてしまうような自分の命とはなんなのか。誰かと意見を交わしてみたいと思った彼女は、思い切った行動に出ます。パレスチナ人に手紙を書いて返事をもらおうという突飛な思いつきを実行に移すのです。手紙にメールアドレスを書いて、瓶に入れ、その瓶を軍役についている兄にパレスチナ自治区のガザの海に投げてもらおうとします。果たして、メールアドレスに返事をくれたのはタルが想定していた同い年の女の子、ではありませんでした。決して交わることのない敵国同士の二人がメールを通じて言葉を交していく物語です。 瓶に入れて手紙を海に放つなんてロマンティックな行為ですが、実際は、敵国の相手と通じたらスパイ活動とみなされるような緊迫した情勢下でのスリリングな文通が始まります。
タルにメールをくれたのはガザマンと名乗る匿名の男性でした。タルの試みを容赦なく批判し、揶揄し、イスラエルに対するパレスチナの憎悪をこめたメールがタルに書き送られてきました。ここでタルは怯まずに、なんとかこの文通が続くように、ガザマンに問いかけ、自分の思いを伝えていきます。お互いを知ることで未来は変えられると信じるタル。イスラエルに封鎖されたことで身動きが取れず、経済も崩壊したガザ地区に住む彼と、戦争について、互いの国の未来について話をしたい。そんなタルの思いは、ガザマンと名乗る彼にも確実に届いていました。『返事がきたからって、有頂天になるなよ。別に友達になったわけじゃないからな』なんて書き出すようになったらデレるのは近いというのが定石です。パレスチナ側の立場で両国の紛争を考える彼もまた、平和を祈り、普通の暮らしができることを望んでいます。物語はガザマン側の心中もまた明らかにしていきます。自由の少ない環境の中でこの世界の不合理に失意を感じている真摯な青年であるガザマンは、少なからずタルに好意を持ち始めていきます。彼が本当の気持ちを書くことが難しいのは何故なのか。複雑な心の制約が次第に解かれて、真実の彼の姿がタルにも見えはじめます。そんな折、タルにもテロの惨禍が降りかかり、二人の関係は次のターンへと進んでいくことになります。緊迫した中東情勢を等身大の感覚で捉える若者たちの痛みが伝わってくる物語です。
イスラエルを舞台にした文通モノといえば『もちろん返事を待ってます』が思い出されます。エルサレムに住む少女が、なかなか心を開かない文通相手の少年に積極的にコミュニケートする、という構図はこの物語に近しいものがあります。男子側が抱えている心の澱を一蹴して度肝を抜いてしまう女子の熱意。まあ、男子的には翻弄されるばかりなのですが、本書のような緊迫した社会情勢下にあって、さらに元々のわだかまりもある関係となれば、その障壁を越えていくには、かなりの積極性が必要とされるのでしょう。ボーイフレンドもいるタルと違って、ガザマンは厳しい戒律のある社会に生きる青年であり、女子には不慣れで、そのあたりの温度差もまた見どころです。こうした文化が違う者同士の文通モノでは、アンドリュー・クレメンツの『はるかなるアフガニスタン』という興味深い作品があります。アメリカの少女とアフガニスタンの少年が文通をする、ことはお国柄難しく、少年は妹が書いているという体を装うことになったりと一筋縄でいかないのです。遠く離れた国ではなく、エルサレムとガザ地区のような近隣にあっても、領土問題のみならず、文化の違いが対立の温床となって、話をすることさえできない状況もあります。この文通のような人の心の距離を縮めていく小さな一歩の積み重ねで、紛争が解消できる日がくることを願います。ネットというツールはあるのに、かならずしも繋がれるわけではないという現実は、ロマンは掻き立てられるものの、非常に残念なことではあるんですよね。