フードバンクどろぼうをつかまえろ!

THE GREAT(FOOD)BANK HEIST.

出 版 社: あすなろ書房

著     者: オンジャリQ.ラウフ

翻 訳 者: 千葉茂樹

発 行 年: 2022年06月

フードバンクどろぼうをつかまえろ!  紹介と感想>

タイトルどおり、子どもたちがどろぼうを捕まえるという痛快な物語です。その背景としてフードバンクという活動が描かれています。本書はフードバンクとは何かを広く知ってもらいたいという作者の願いが込められた解説多めの本です。フードバンクは貧困家庭に寄付で集められた食品を提供する活動です。対象家庭にチケットが配布され、それを持っていくと食品と交換してもらえるシステムのようです。貧困家庭を支援する取り組みというと、日本では「子ども食堂」が有名で、児童文学作品の中でもよくとりあげられます。フードバンクの活動は日本でも行われているものの、本書の舞台であるイギリスの六分の一の規模で、まだ活性化していないと本書の解説にあります。活動の歴史が浅いためだそうですが、そこには、寄付に対する考え方や、心理的なハードルなど、国情の違いは大きいのではないかと想像しています。まずは認知度を高めることが普及への第一歩であり、本書のような児童書が刊行され、広く読まれることの効果は少なくないでしょう(本書は、2023年度青少年読書感想文コンクールの中学年の課題図書にもなりました)。児童文学的な読みどころとしては「施される側の立場」にいる子どもたちが、どういう心持ちで支援を受けとめているかというあたりです。おそらくは複雑な心境のはずなのです。貧困家庭の支援制度に感謝しつつも、友だちの手前、その立場はどこか恥ずかしさもある。親もまた、子どもたちに充分な食事を与えられないことへの負い目があり、そんな親の前で子どもたちがどうふるまうかも気になります。親子が互いを思いやる愛情は深く、貧しさの中でも救いを感じさせる物語です。子どもたちが協力して、フードバンクから食品を盗む窃盗団をやっつける、という痛快さの裏には複雑な背景が浮き上がってきます。社会的な弱者からさらに搾取しようとする人たちの存在も世知辛いものですが、公共福祉がカバーできない支援の状況や、目一杯働きながらもシングルマザー家庭が充分な収入を得られない状況など(フルタイムの看護師なのにどうしてか。正規の資格がないのか。特に経済的に苦しい月があったりと、何か事情がありそうです)、社会の歪みが垣間見えすぎて、この物語の子どもたちの明るさが、より痛々しく感じられてしまいます。物語の落とし所も含めて考えさせられる物語です。考え込んでしまって感想が出てこないので困っています。

ネルソンと幼い妹のアシュリーはいつもお腹を空かせています。家で満足に食事を摂ることができず、給食を多めにもらったり、学校の「朝食クラブ」にも世話になってしのいでいる毎日です。お母さんは一日中、看護師の仕事をしていますが、子どもたちを育てる充分な収入は得られません。お腹が空いたと文句を言う妹に、お母さんが悲しい微笑みで応えることに、ネルソンは胸を痛めていました。それでもフードバンクがあることが家族にとっては救いでした。そこに行けば、ニコニコとした優しい大人たちが、食べものを与えてくれるのです。ところが、このところフードバンクの食べ物が少なく、大変なことになっているとの噂が広がります。どうやら誰かが食べ物を盗んでいるらしいのです。実際、引き換えられる食品は少なくなっています。これまでフードバンクに行っていることを友だちの手前、恥ずかしく思っていたネルソンも、この緊急事態に、皆んなで張り込みをして、犯人を捕まえようと協力をあおぎます。フードバンクに食品を提供してくれるグラッドスーパーでカートをすり替えている人がいることを突き止めた子どもたちは、犯人を捕まえるために作戦を立てます。「最低最悪のするがしこい犯罪」を阻止する。実際、それは大きな窃盗団による大規模な組織犯罪でした。子どもたちだけで立ち向かうことは危険であり、不安もあります。ネルソンの勇気ある行動は、この犯罪を阻止し、より大きな支援の輪を広げるきっかけを作ることになります。

印象に残るのは、ネルソンがずっと母親の顔色をうかがっていることです。悪い意味ではなく、ただただ心配しているのです。子どもに満足な食事を与えられない親の辛さ。その気持ちをネルソンは感じとり、努めて明るくふるまうという、よりいたたまれない行動に出ます。『八月のひかり』という近年の国内の新しい貧困児童文学の中でも味わい深い物語がありました。本書と同じようにシングルマザー世帯で、主人公の小学五年生の女の子には幼い弟がいます。お金を切り詰めて生活しているディテールは真に迫っていて、息が詰まるような閉塞感を覚えます。生活に不満はあるはずなのです。それを口に出すこともなく、母親や弟のために尽くそうとする主人公が健気すぎて、人間性を疎外されているとさえ思えます。本書もまた同様で、この「気を遣う子ども」の姿が痛ましいのです。フードバンクからもらえる食事は、必ずしも美味しいわけではありません。それは、施しを受けている惨めな気持ちをより増幅させます。それでも不満をもらさず、あえて楽しく食事をしようとするネルソン。これは、お母さんとしては見ていられないだろうなと思います。その貧しさを直接、馬鹿にされることもないし、周囲の大人たち、特に学校の先生たちは可能な限りサポートしてくれます。それでも、やはりお金がないことは、人を哀しい気持ちにして苛んでいきます。明るさの裏にあるこの悲しみ。社会の不合理への怒りをぶつけるべき場所はなく、弱い者をさらに虐げる窃盗団が、その怒りの矛先となるのですが、まあ、窃盗団自体も食い詰めて、そういう犯罪に手を染めた人たちなのだろうと想像すると、より複雑な心境を抱かされます。とはいえ、まだ子どもたちには未来があり、そこには希望が輝いています。今の苦しさを乗り越えれば、きっとより良い生活を送ることができる。物語の終わりには、誰もが健康な生活と、平等にチャンスをもらえる社会への希望が語られます。子どもたちが未来を信じられるように大人が支援しなければと考えさせられます。ということで、この社会を作った責任を問われるべき大人には、より響くのです。文学の存在は、子どもたちにとって具体的な支援になりません。ただその心持ちを理解する人がいるのだと伝えられるものではないかと、その意義を信じたいものです。