青春ノ帝国

出 版 社: あすなろ書房

著     者: 石川宏千花

発 行 年: 2020年06月

青春ノ帝国   紹介と感想>

人の厚意や善意を自分は信じられなくなっていて、表向きの優しさにもウラがあるのではと疑うようになっています。およそ人は功利的なもので、損得勘定が基本原則なのだと思うのです。それはとても淋しいことなのだけれど、人に期待しなければ傷つかないで済む、という警戒心なのかも知れません。長く生きてきた結果として、そんなふうに世の中を捉えるようになった現状を思うと、存外、自分は不幸だったのかも知れないのですが、まあ、積極的な悪意によって再起不能なまでの酷い目にあわされたわけではないのでヨシ、と今までの人生を肯定的に捉えることも同時にできます。大人になると、自分が機嫌良く過ごすために、そのぐらいのスイッチの切り替えはできるものです。ただ、中学生の頃は、もっと世の中と自分自身に対して期待感があって、その期待感のために余計に傷ついていたのかも知れません。思うようには思われないものです。期待してもムダなのです。一方で、自分の想像を越えたところから向けられているあたたかいまなざしや、思ってもみないような配慮を受けていることもあるものです。驚くべきことは、なんの計算もなくナチュラルに好意を寄せられることもあるということです。自分を守るために殻を重ねて閉じこもっていくと、気づけない世界があります。目を見開き、この世界に瞠目すること。耳をすませて、良く聞くこと。この物語は、劣等感に沈む女子中学生の自分壊しと自分ビルドが 、羨ましくなるような清新さで、鮮やかに描き出されます。何人か人が死にます。衝撃的なエピソードもあります。それでも、この物語の最大の事件は、主人公が「気づく」ことなのです。自分を取り巻く世界が覆される瞬間が鮮やかに描き出されます。天動説から地動説へ転換する思春期の自意識のコペルニクス的転回。それぞれの星たちにもまた心があるのです。この世界は思ったよりも優しさに満ちている。そう、思ったよりも、なのです。

関口佐紀。特に目立つところもない平凡な中学生二年生の女子。同じクラスの人気者の上原沙希のように、気安く「さき」と皆んなから呼びかけられることはない自分に失意を抱いています。自分の周囲にいるのは、自分と同じようにクラスからあぶれている峯田さんだけ。朗らかで優しい沙希のように、皆んなから親しく接してもらえることもない自分に、佐希は劣等感を募らせていました。自意識過剰で空回りばかり。うっかり悪目立ちするようなことをしてしまい、さらに落ち込む日々。そんな彼女を支えていたのは、小学生五年生の弟が通う「科学と実験の塾」のお迎えで、この「特別な世界」に足を踏み入れられることでした。この変わった塾の塾長の久和先生の甥である奈良君は、佐紀と同じクラスの転入生。カッコ良く誰もが憧れる奈良君と、特に会話を交わすわけではないけれど、顔を合わせることができるこの場所。学校では呼ばれることのない「佐紀」という名前で、声をかけてくれる久和先生にも佐希は親しみを感じていました。しかし、佐紀はこの塾で助手を務めている、百瀬さんという女性に苦手意識を感じてしまうのです。三十歳なのに可愛らしく愛嬌があり、フレンドリーに接してくれる彼女に、佐紀は劣等感を感じていました。物語は、自分自身に苛立ち、閉じこもっていく佐紀の日々に兆す小さな変化を捉えていきます。そこには、佐希が自分の愚かさに向き合い大きな気づきを得ることや、久和先生や百瀬さんが経験してきた心の深淵を覗いて、大いに驚かされることも。久和先生の右眼が義眼になった事情や、百瀬さんの名前に隠された痛切なエピソードも佐希を貫きます。回想の中で語られる、痛みを孕んだ懐かしくも愛おしい日々。読後も離れがたい気持ちを抱かせる、佐紀の青春ノ帝国で一緒に戦った同志たちとの回想の日々がここに蘇ります。 

石川宏千花さんのYA作品を読む時に、つい身構えてしまうのは、辛辣な悪意に遭遇させられてしまうことが多いからです。それは限りない善意が描かれるための対極であるのかも知れないのですが、人の心の闇を見せつけられて、戦慄させられるのです。この物語はその度合いが比較的低く、それなのに善意や愛情が色濃く描かれていくあたり、実はちょっと拍子抜けしました。そして、なんて愛おしい物語なんだろうと感嘆したのです。無論、この物語でも理不尽な人の悪意が、人の人生を歪めていったエピソードが深い印象を与えます。ただ、そこをゼロ地点として、人が立ち上がり、違う風景を見られるようになるという希望が語られます。絶望が傍らにあったからこそ、立ち上がった勇気に、力を与えられます。普通の家庭で平凡に育ってきた十四歳の佐希が、今まで知りえなかった世界を垣間見て、否応無く、その宇宙は転回していきます。語りたいことが沢山ありすぎる物語です。佐紀が自分の思慮の浅ささを思い知り、ハードに凹む、その反省っぷりの潔さ。人の心の豊かさ、素直さにただただ打たれ、その思いこみが覆される逆転の快感。腹蔵もなく共感共苦を人と交わせた瞬間を、佐紀が歓びをもって迎えられたのは、彼女が一歩踏み出せたからであり、その勇気はリアルな中学生生活を思うと高いハードルなのだと思います。上手くいきすぎと思いながらも、上手くいって良かったと心から歓べる、そんなシンパシーを主人公に抱ける稀有な物語です。ところで『青春ノ帝国』というタイトルで想起されたのが赤川次郎さんの『青春共和国』です。多分、中学生の時に読んだはずですが、まったくもってストーリーを覚えていません。閉じこもって本ばかり読んでいた当時の自分も、どこかの帝国の住人だったのですが、革命を起こせないまま今日に至ります。同志を募集しています。