真夜中の飛行

Night flying.

出 版 社: 小峰書店

著     者: リタ・マーフィー

翻 訳 者: 三辺律子

発 行 年: 2004年08月


真夜中の飛行  紹介と感想 >
「飛ぶ夢」をしばらく見ていません。以前に見た飛ぶ夢は、ちょっと意識を集中すると空中に舞い上がることができて、空の上を歩くような感覚で前に進めるというものでした。そんなに高くは上がれず、地上10メートルあたりに浮かんでいる状態。上空から見た街は、電信柱と電線の連なりが印象的で、夢ながら不思議な浮遊感もあり、疑似体験としては面白かった記憶があります。「飛ぶ夢」には、青年期や思春期にありがちな野心や夢、そうした欲求に現実が叶わない状態の不満感が表されている、と夢占いには出ていました。となると、飛ぶ夢を見ない時の方が精神的には良い状態なのかも知れません。そういえば、「飛ぶ夢をしばらく見ない」というタイトルの小説を読んだことがあったなと思い出しました。あれも中年男のお話ではなかったか。「飛ぶ」ことの物語の中での象徴性は、やはり「自由」の飛翔なのかも知れません。魔法的な能力の一環として考えてしまうと、ちょっと論点がズレてくるので、人間の資質として「飛べる」ということを考えてみます。つまり、ピーターパン的な「飛べる存在」としての「なにか」ですね。素養として、飛べる状態であるということ。その心もち。本書『真夜中の飛行』は、飛ぶ力を持った女性たちのファンタジックな物語ながら、殻に閉じ込められてしまいがちな人間の心について考えさせてくれる作品です。自由を得るために、もしくは、叶わぬ思いを実現するために、飛ぶ。酒井駒子さんの美しい装画のイメージに飾られた静謐な物語。地味ながら良い作品です。

『ハンセン家の女たちは、どんなに天気が悪くても、かならず夜に飛ぶ』、その不思議な一文は、夜深く、暗闇に閉ざされた空を漆黒の服を着て飛行する女性たちの物語の冒頭を飾っています。動力によらず、ホウキにまたがるような無粋なこともせず、ただ、飛ぶのです。人目を避け、誰にも見つからないように、夜の闇に紛れて飛ぶ。これは、ジョージアの曾々々祖母の代から、ハンセン家の女たちに受け継がれている不思議な力でした。彼女たちは、生活のためにでもなく、娯楽のためでもなく、ただ飛んでいます。なんのために飛んでいるのか読者には良くわかりません。でも、それがハンセン家の女性としての存在証明でもある行為なのです。飛ぶ、という以外は、通常の人間と変わらず、いえ普通以上にストイックな生活を送っているのが、ハンセン家の人々。ジョージアは、祖母と母と二人の叔母と、祖父が築いた財産を、静かに費やしながら暮らしています。この女系家族は、代々の祖母たちの定めた規律に縛られた窮屈な暮らしをしています。ハンセン家の地所に男性が留まってはならない。肉食をしてはならない。そして、十六歳になった時に迎える儀式の前までは一人で飛んではならない。まだ十六歳にならないジョージアは、単独飛行をすることを赦されていません。いつも叔母に付き添ってもらい飛んでいます。一族の秘密を漏らさないよう、規律を守り、夜に人目をはばかるようにしか飛ぶことができない。厳しい祖母の下、母も叔母たちも小さくなって暮らしている。そんなところに、以前にハンセン家の規律を破り追放され、今は余所の土地で暮らしている母の姉であるカルメンが訪ねてきます。奔放な性格で、好きなようにしたいことをするカルメン。一族の因習に縛られ、従順であることを求められる現在、そして未来をジョージアは思います。誕生日を前にして、ジョージアの心は複雑な思いに揺れています。一体、自分はどうしたいのだろう。ジョージアには、本当に自分が求めていることがなにか、おぼろげに見えはじめています。「空を飛ぶ」女たちの一族の末裔の少女の揺れる気持ちは、自分なりの答えを見出すことができるでしょうか。

自分を「取るに足らない」存在だと思い込み、どこにも行けなくなってしまうことがあるものです。自分自身のいたらなさを見透かされるのが怖くて、人に会うことができなくなる。自分を見下しながらもプライドは高いので、傷つかないように人前から隠れてしまう。ヒキコモリにいたる初期症状のような心理状態。僕も学生の時に、そうした自己喪失状態で社会参加が出来なくなっていた時期があって、アルバイトを探すことさえままならず、一人部屋で頭を抱えていたことがありました。なにも持っていない、なにも知らない、なにもできない、無色で無印の状態が、時に求められる資質であるなんて思いもよらなかった頃です。これから何か習得しようという前向きな気概さえあればなんとかなる、というのは、一度、社会に出たことがある経験値が語るところです。何か、自分自身を取り戻すきっかけがつかめれば良いのですが。期待されすぎて潰れてしまうこともあれば、「お前などにできるものか」という物言いに潰されることもあります。適切な教育的指導が人間を伸ばすこともあれば、ただただ人を凹まして、心を折ってしまうこともあります。翼を折られて飛べなくなる。ハンセン家の女性たちは、因習的な規律と、厳しい家長である祖母の視線によって、自分自身に希望を持つことや、自由に羽ばたくことを封じられています。空は飛べるのに、人間として自由な心を持つことができないという矛盾。本当に守るべきもの、大切にすべきものとはなにか。神秘的な物語の中に、深いテーマを感じさせる作品です。”

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