神隠しの教室

出 版 社: 童心社

著     者: 山本悦子

発 行 年: 2016年10月

神隠しの教室  紹介と感想>

現実にはあり得ない不思議な事件が起きるのがファンタジーです。逆にいえば、そうした物語をファンタジーたらしめているものは対比されるべき「現実」です。「ファンタジーの世界(異世界)に行ってしまいたい」と子どもが思うのは、どんな現実を生きている時なのでしょうか。岡田淳さんの『二分間の冒険』(1985年)と福永令三さんの『クレヨン王国のパトロール隊長』(1984年)は同年代に刊行された傑作ですが、少年が異世界に迷い込むことは一緒でも、その前提となる「現実」の描かれ方が違っています。自分はどうにも後者に惹かれてしまうところがあります。ファンタジーは「現実」世界に押しつぶそうになっている子どもに救いを与えるカードになるものと思っていました。なので、ひろはたえりこさんの『空のてっぺん銀色の風』(2004年)や、村山早紀さんの『黄金旋律』(2008年)にも惹かれてきたのです。そして、2016年に登場した『神隠しの教室』には、かなりの興奮を覚えました。非常に高く評価された作品ですが、ファンタジーとしての仕掛け以上に、ここで描かれる「現実」の重さに驚嘆したのです。現実に押しつぶされかけているこの物語の読者の子どもたちもまた希望を与えられたのか。2010年代のリアルを見せてくれるファンタジー作品の白眉です。

小学生四人が突然、学校からいなくなるという怪事件がおきます。大人たちの必死の捜索にもかかわらず見つからないのは、彼らが、もうすぐ建て替えられる古い校舎の中で、「もうひとつの学校」に閉じ込められるという「神隠し」にあっていたからです。心配する教師や親たち。でも、いなくなった彼らには「いなくなってしまいたい」それぞれの心の事情がありました。ファンタジーな展開の裏には、現代のリアルが込められています。家庭事情でもうすぐ学校に通えなくなる五年生のブラジル籍のバネッサ。義理の父親から虐待を受けている一年生のみはる。四年生の亮太は同級生からトイレに閉じ込められるなど、ひどい仕打ちを受けており、五年生の加奈は女子グループから無視される順番が自分に回ってきていました。子どもだけでなく、「五年生から中学を卒業するまでの五年間が、女の子にとっては人生で一番辛く苦しいころだと思う」と述懐する養護教諭の早苗は、自分自身、過去にひどいイジメを受けており、その心の傷から現在も立ち直れていません。この学校の卒業生でもある早苗は、イジメに苦しんでいた小学生の頃、この学校で「神隠し」にあったことがありました。図書室のパソコンを通じて、もうひとつの学校に閉じ込められた子どもたちと通信することができた早苗は、なんとか四人を救い出そうとしますが、実は、行方不明になっていたのは五人。家族から捜索の依頼が出されていないもう一人の子どもがいたのです。その子には他の子たちよりもさらに複座な家庭の事情があったのです・・・。

重い展開ですが、物語としては「行きて帰りし」のセオリー通り、子どもたちは、もうひとつの世界を経験することで成長し、現実世界に戻ってこられます。加奈が「もう逃げない」という気持ちを抱いて、いじめに立ち向かっていく決意をするというのも、まっとうで前向きな帰結です。一方で、この物語が描き出す暗黒面は、小学生時代から十数年を経てもまだいじめから立ち直っていない養護教諭の早苗の精神状態です。しかも、行方不明になった亮太の母親こそが、かつて自分をいじめていた同級生であることを知り、大いに動揺します。時間が経てば、小学生時代のいじめは霧消する、なんてことはなく、大人になっても、被害者、加害者ともに泥沼のせめぎあいを続けざるをえないというリアル。読んでいるだけで気まずくなるような修羅場を読者は目にすることになります。過去を大いに悔やむ元いじめっ子と、それを笑って許す元いじめられっ子、なんて爽やかな構図にはなりっこないのだという現実をまざまざと見せつける作品です。結局のところ、いじめは誰も幸福にしないし、良い思い出に昇華することはないのでしょう。子どもたちが明日を生きる力を与えられる児童文学としての向日性の裏で、いじめはけっしてきれいごとでは済まされないという真実を見せつける、いじめを描く児童文学の新局面を提示した作品でもあります。