旅路の果て

モンゴメリーの庭で
Lucy Maud and me.

出 版 社: 講談社

著     者: メアリー・フランシス・コーディ

翻 訳 者: 田中奈津子

発 行 年: 2000年10月


旅路の果て  紹介と感想 >
おじいちゃんの家の預けられたローラは、近所に住む、おじいちゃんの幼馴染みであるミセス・マクドナルドのことを教えてもらいます。『ここ数年、つらい思いをしてきたようでね。いまでは家にとじこもったきりだ』というミセス・マクドナルドは、あの『赤毛のアン』の作者、モンゴメリーであるというのです。ローラは驚きます。だって、あんなこわばった体のおばあさんが、あの若さの喜びにあふれた物語を書いた人だなんて。『あの若い主人公たちは、とっくにすぎさった過去のものよ。もうかかわりあいたくないの。セアラ・スタンリー、エミリー、アン、キルメニー・・・もう、うんざり』、ミセス・マクドナルドはそう言いながらも、話しかけてきたローラに興味を覚えていきます。そして、ローラに庭の植え替えを手伝ってもらいながら、あまり幸福とは言えなかった自分の生涯について語っていくのです。やがて『あなたは<あいよぶ魂>だという気がしているの』と言ってもらえるほど親交を深めることができたローラ。彼女は(まさに愛読者に代わって)モンゴメリーに沢山の質問を投げかけます。しかしながら、老作家と少女との交流は終わりの時を迎えることになります。人生の最後に心を打ち明けられる友人を得たことはモンゴメリーの生涯の一筋の光明となったのでしょうか。

この作品は、作家モンゴメリーと、彼女の「最後の友人」となる少女との数日間の交流を描いたものです。 とはいえ、残念ながら、この美しい物語はフィクションであり、実話ではありません。モンゴメリーの生涯については、遺された日記から詳らかになっている部分が多く、幸福とは言いがたかった結婚生活、また『赤毛のアン』を越える作品を創り出せない作家としての苦悩など、この本で語られていることは事実に基づくもののようです。沢山の人々を励ました優れた作品を世の中に送り出しながらも幸福ではなかった作家の晩年に、一人の小さな「親友」を送りこむという物語の試み。『シューレス・ジョー』(ウイリアム・P・キンセラ)という作品を思い出しました(映画『フィールドオブドリームス』の原作です)。天啓を受けた男が、作家サリンジャーの「苦痛を和らげる」ために、隠遁生活を続ける彼を、自分が作った野球場に連れていくという小説です。有名作家が「登場人物」として描かれる作品は、そういえば、いくつか思い出されるのですが、やはり、多くの人々を幸福にした物語を遺してくれた優れた感受性を持つ人物には、その実人生の中で、幸福な出来事を享受して欲しいという願望を持ってしまうものかも知れません。後輩作家のリスペクトと愛が物語として結晶となったことの美しさも思います。モンゴメリーの晩年に、本当に、ローラのような子がそばにいてくれたならと願いたくなりますね。

さて、この『旅路の果て』は、2001年の(全国青少年読書感想文コンクールの)高等学校の部「課題図書」でした。今どきの高校生はどんなふうにこの物語を読むのかと感想文が気になるところです・・・と、ここまでの文章を、その頃(2001年頃)、リアルタイムで書いていたのですが、あくまでも、その頃の「今どき」の高校生のことです。当時、生まれた子どもが高校生になるほどの時間が経過した今となっては、読者としての感じ方も相当変容しただろうし、そもそも『赤毛のアン』を今の子どもたちが読むのだろうかという、ベースのところから疑問に思ってしまうわけです。人生の記念碑的一冊といえば、前述のサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が大定番としてあげられますが、『赤毛のアン』もまた、人生を揺るがす一冊ではないかと思います。できる限り、その魅力を語り継ぎたいとも思います。僕もまた、若い頃に読んだ作品ではあるのですが、人生の節目で時折、読み返すことがあります。面白いことに自分の感じ方が随分と変わってきてしまっていることに気づかされます。そして感受性の衰えを実感しつつ、「若さ」がないと感じとれないものって確実にあるなとも思うのです。思い立ったが吉日。この後の人生で一番、若い日である今日。是非、赤毛のアンを読見返してもらえたら、なんて思うのですが、どうでしょう。