おひさまへんにブルー

出 版 社: 国土社 

著     者: 花形みつる

発 行 年: 2015年05月

おひさまへんにブルー  紹介と感想>

さかなへんにブルーと書いて「鯖」ですが(これは長嶋元監督の迷言だったか)、おひさまへんにブルーと書いて「晴」です。ブルーは空の青さだけではなく、憂鬱な気分を表す言葉であり、「晴れ」の明るさの中にブルーな気持ちが混ざっていることを暗示したタイトルだったのだなと、読み終えて、しばらくしてから思いました。子どもの頃のブルーさは、家庭事情など自分ではコントロールできないもののために生じることがあります。自分を不甲斐なく感じたり、自分ではどうにもならない状況に翻弄され、無力さを感じることもあります。また、自分のことはさておいて、複雑な家庭事情を抱えた友人に手を差し伸べることもできないまま、困窮している姿を、ただ見ているだけのこともあるものです。一緒に立ち上がる物語もあれば、ただ「見送る」しかない物語もあり、後者の哀切は一層、胸に刺さります。子どもなりに懸命に生きているのだけれど、自分が何もできないことに泣きたくなるようなこと。いや、後になって思い出して、あの時、本当は泣きたかったんだな、なんて、大人になって気がつくことも多いものです。未消化なブルーな気持ちをどこかに置いてきたのだと児童文学を読んでいると思うことがあります。そんな気持ちを思い出させてくれる一作です。デビュー作以来、四半世紀に渡って、正統派からやや外れた異色作を書かれてきた花形みつるさんですが、児童文学の重賞を多数受賞され、高い評価を受け、いまや王道の人になっています。ケレンな手管で児童文学のエッセンスを見せてくれる手腕に、改めて驚嘆します。 

問題児、オイカワ。小学五年生の少年、拓実が転校した学校の子どもたちの話題の中心は、いつもオイカワでした。オイカワは六年に在学する少年ですが、彼を含めたオイカワの家族は地域の中で異色の存在だったのです。七人とも九人とも言われる兄弟姉妹の大家族の母子家庭。父親もいるようなのですが、支給された生活保護や児童手当を持っていってしまうだけの存在らしいとのこと。長兄はヤクザで、不良の弟が続き、小学六年生のオイカワや年少の弟や妹たちも問題児として扱われています。悪く言って、地域の鼻つまみものの家族です。実際にオイカワには盗癖があり、その被害にあった人も沢山おり、オイカワの住む長屋の周囲には空の財布が多数、転がっているなど悪い噂はつきません。生活に困窮し、だらし無い生活を続けているオイカワ一家に対して、周囲は畏怖と好奇の目を向けていました。一方、厳格な祖母の元に預けられた拓実もまた、複雑な家庭事情と心の事情を抱えていました。いじめられっ子で不登校だった拓実は新しい学校に通うことを躊躇していましたが、祖母の留守中、家に入り込んできたオイカワと、その素性を知らないまま一緒にゲームをしたことから、トラブルに巻き込まれ、結果として学校に行けるようになります。拓実は周囲に言われるほどオイカワを特別視することもできず、不思議な親近感を抱いていました。それでも「オイカワの話題」を振りまくことで、学校で他の生徒に上手くとけこめることを知り、オイカワを利用しながら、複雑な感情も抱きます。問題行動を続けながらも、何故か自分には謎の好意を見せてくれるオイカワ。しかし、ちょっとした事件をきっかけに拓実はオイカワと心をすれ違わせてしまうのです。 

オイカワに翻弄される保守的な学校の先生たちや、世間体や優越的な立場が大事な大人たちの虚栄や思惑。いじめられっ子で、教室の微妙なパワーバランスに注意を払っている拓実の心境など、細部の描写が際立っている作品であり、正統派児童文学からは逸脱したブラックなユーモアが光るところです。一方で、小心な拓実と、何を考えているわからないオイカワとの関係性の描き方も秀逸で心を射抜かれます。あまり会話をすることもない二人の間にあるものや、いつもそぞろなオイカワが、ふいに心を見せる瞬間など、緊張感にゾクゾクとさせられました。この物語の終わりは、とても哀感に溢れたものになっています。どこか越水利江子さんの『風のラヴソング』の「みきちゃん」を想起させられるところもあります。複雑な家庭に育って、品行方正とは言えず、周囲の大人たちからは好意的に見られていない、そんな子どもがいます。それでも自分にとっては特別な存在だということもあります。その子の不幸を目の前にしながら何もできないでいる自分。ああいった家庭に育った子は、もはやどうにもならないと、教師たちもあきらめはじめている。僕も今の大人感覚としてはそう思ってしまうのだけれど、過去の記憶の中に取り残してきた何人かのそうした子たちの顔が今も浮かぶのです。そんな、ちょっとブルーな気持ちになれる作品です。なりたいわけではなくても、否応なくそうなります。