出 版 社: 小峰書店 著 者: 越水利江子 発 行 年: 2006年11月 |
< 竜神七子の冒険 紹介と感想 >
竜神七子という、このちょっとカッコいい名前の女の子はまだ小学生です。野球が得意で元気いっぱい。両親と弟と四人で京都に暮らしています。目下の問題としては、お父さんがお酒とお金にだらしないこと。借金取りに追われたり、酔っ払ってヤクザの車に突っ込んでしまったり、お酒がらみでお父さんが起こすトラブルにお母さんはすっかり疲れ果てています。我慢を重ねてきたお母さんは、お父さんの人間としての誠実さにも疑問を感じるようになっていて、これはもう夫婦として危険な状態になっています。家にお金がないというのも、子どもとしては肩身が狭いものです。少年野球チームに入りたいと思いながらも会費を払えない切なさ。そんな時、七子が出会った、ちょっと訳ありふうの少年、心平。七子が入れてもらった、お寺主宰の野球チームの一員でもある、複雑な生い立ちの心平や、野球仲間たちとの出会い。近所に住む面白いオバサンの人生に触れるうちに、七子の心は大きな広がりを持つようになります。大人たちがつぶやく、まだ七子には理解できない言葉も、この物語の味わいを深く濃いにものにしていきます。雰囲気たっぷりの夜の京都の幻想的な情景や、人と人の心の触れあい。情感あふれる関西の言葉が醸しだす、なんとも艶やかなこの空間を、いつまでも味わっていたいと思ってしまう作品です。
「自由」を与えない愛情もあるということ。この複雑な逆説を理解するには、こんな状況を考えて欲しいのです。両親が仲違いをして、今にもお母さんは出ていこうとしている。小学生の娘としては、やっぱり優しいお母さんについていきたい。お父さんは、お酒を飲んで借金ばかり作っているだらしない人。それでも、このまま一人にしてしまってはいけないのではないかとも思ってしまう。自分が弟と自分が弟と一緒にお母さんについていってしまったら、残されたお父さんはどうなるのだろう。お母さんをとるか、お父さんをとるか、そんな選択の「自由」があることは、小学生の女の子にはあまりにも荷が重過ぎます。お母さんは、娘の意思を尊重してくれる。でも、最後にはちゃんと、小さな心を痛める娘の困惑を察して、ふいに抱きしめると、お母さんはその選択の自由を奪うのです。お母さんについてきなさい、と命じるのです。この場面、凄くいいのです。自由に心を決められる、ということは、同時に大きな責任を負わせること。まだ幼く、小さな心に、そんな決断をさせるわけにはいかない。だから、子どもの自由意志を尊重しない。時にそんな強引さも、相手の心を思いやる愛情の形です。そんな、鼻がツンとして胸が切なくなるような心の機微を、物語の中で、しっかりと魅せてくれる作品です。貧しさや、しょうもないような困ったこともある。ちょっと厳しいなあと思える状況なのに、明るくバイタリティを失わない子どもたち。それでいて、繊細な心のゆらぎもまた、行間からたっぷり感じられる一冊です。
「君を自由にしてあげたい」と、かつて自分にプロポーズをしたお父さんに、散々な目に遭わされているお母さんは、自由の意味とはなんだったのかと問いかけます。自由とは、なんにもないということなのか。そんなお母さんに、私たち家族がいるんだからお母さんは自由じゃないんだよ、という七子。それは、揺らいでいたお母さんの心をぎゅっとつなぎとめる愛しい瞬間です。お母さんには、なんにもないわけじゃない。迷惑をかけたり、かけられたり。時には「自由じゃない」ことの喜びもあるのではないかと思うのです。誰かとずっと一緒にいることは、自由ばかりではいられない。でも、一人きりの寂しい自由より、ちょっと面倒や抵抗がある方が、人は心のつながりや関わりあいを感じ取れるのかも知れません。お母さんが子どもたちやお父さんに寄せる気持ち。しょうがない人である、お父さんが家族に寄せる気持ち。七子が家族や友だちに抱く気持ち。七子が見つめる、自分をとりまく世界に満ちている悲しみ。子ども心に芽生えた、暮らしていくこと、生きていくことのやるせなさ。必ずしも美しく丸く収まることはなく、デコボコなまんまで、色々な予感を孕みながら物語は終わりますが、想像の余白のうちに、七子が豊かな心と、人の心を気づかえる繊細さを持って、元気に生きていく未来が感じられる素敵な作品です。色々あるけれど、それでも力一杯、進んでいこうとする七子の勇ましい姿と、今後の冒険をいとおしく見守っていたくなるのです。