第八森の子どもたち

De kinderen van het achtste woud.

出 版 社: 福音館書店

著     者: エルス・ペルフロム

翻 訳 者: 野坂悦子

発 行 年: 2000年04月

第八森の子どもたち  紹介と感想>

ウクライナ民話の『てぶくろ』は絵本としても大定番なので、ご存知の方も多いかと思います。おじいさんが落とした手ぶくろを、最初に住処にすることにしたのは、ねずみで、やがて色々な動物がここにやってきて、一緒に住ませて欲しいと言い出します。かえる、うさぎ、きつね、いのしし、と、だんだんと大型の動物がやってくるあたりが、こうしたお話の常套の面白さなのですが、本来、小さなはずの、手ぶくろがこの希望を受け入れ、拡張して、多くの動物たちの共同住居になるという、物理法則を超えた展開には驚かされます。現実的に考えると無茶な話です。終わり方もまた衝撃的で、なんとも不思議な話だったな、という印象があったのですが、本書『第八森の子どもたち』には、この「てぶくろ」の持つ「来るものを拒まず受け入れる」姿勢がオーバーラップします。実際、主人公の少女、ノーチェが小さな子どもたちを寝かしつけるために、この民話を語って聞かせる場面があり、物語のモチーフになっていることを意識させられます。多くの動物たちを寛大に受け入れる「てぶくろ」の存在と、ノーチェが共同生活を送る、ナチスドイツ圧制下の避難民たちが暮らす農家、クラップヘクには、どこか通じるところがあり、この不思議な民話の寓意を考えさせられるのです。困っている人たちを広く受け入れようとするクラップヘクの包容力。その共生の理想は「てぶくろ」のようには条理を超えられず、現実的な困難と人を向き合わせることになります。それでも、苦しみも歓びもシェアして共に生きようとするスピリットがここに溢れています。寛大であったのは「てぶくろ」ではなく、来るものを拒まないという意志を持った、その住人たちではなかったか。窮地において、人は利己的にも排他的にもなるものです。それゆえに、非常時にも友愛を失わずに生きていこうとした大人たちの姿を、子どもたちもまた心に刻んだのだと思います。戦争児童文学を代表する一冊である本作は、ロシアがウクライナに侵攻した今こそ(2022年3月)、人が失ってはならないものを改めて訴えかけます。

第二次世界大戦末期のオランダ。十二歳になる少女ノーチェには母親はおらず、父親とともに森の中にある農家に暮らしていました。以前はオランダ東部の町アルネムで暮らしていたものの、次第に食べ物が手に入らなくなり、ドイツ軍の侵攻によって町を追われ、避難民として北へと逃れたのです。荒れ地を越えて、二人がたどり着いたのは、クラップヘクとよばれる農家でした。アルネムの町に帰れないまま、父と娘はここに身を寄せることになります。クラップヘクには主人一家だけではなく、住み込みで働く青年ヘンクやドイツ軍ヘの抵抗運動をしていたという青年テオもいました。この家の主人である、おやじさんも奥さんのヤンナおばさんも広い心の持ち主で、なるべく多くの人たちを助けようと努めていました。毎日、食べ物に困って頼ってくる人たちに平等に分け与え、戦禍に追われた人たちをここに一緒に住まわせようとするのです。戦火は次第にクラップヘクの周囲にも迫ってきていました。ドイツ兵が飼っていた豚を押収していったりと、生活も次第に厳しくなります。それでもクラップヘクの人たちは、多くの人を助けようとし続けます。その博愛はドイツ軍の脱走兵にも、第八森の奥に隠れ住んでいるユダヤ人の家族にも注がれました。早く戦争が終わればと願いながら日々を生きるクラップヘクの人たちの周囲にもドイツ軍のV1ロケットは落とされ、空襲が行われ、ドイツ兵団の侵攻が始まります。物語は、こうした戦下の暮らしの営みを、ノーチェの目を通して細やかに描いていきます。どんな状況下でも貪することなく穏やかに生きる。勇猛果敢に闘うわけではなく、激しく抵抗するわけでもないけれど、平和を願い、祈り、人としての誠意を忘れない。激しい戦闘の果てに、やがて戦争は終わりを告げます。戦争の成り行きを、何もできないまま見守っていた普通の人たちもまた、自分たちの暮らしや善意を大切に守り続ける戦いを続けていたのです。ノーチェの回想の中で輝くクラップヘクの日々は、決して陰惨な戦禍の思い出だけではなかったというところに、人間のたくましさを思います。

角野栄子さんがご自分の子ども時代の戦争を描いた『トンネルの森 1945』にどこか通じるものを感じます。作者の回想の中での戦時下の子ども時代には、それでも日々を楽しく暮らそうとするバイタリティがみなぎっています。戦争という理不尽な脅威に人が打ち勝つ術は、もちろん、「気の持ちよう」ではありません。それでも戦争という脅威にも奪えないものがあることを物語は見せてくれます。子どもの視座から描かれる戦争の時代は、悲惨さや醜悪さだけではなく、そこを友愛を胸に生き抜く人間の尊さを語りかけます。物語が語りかけてくるものを、どう受け止めるか。受けとったバトンを読者もまた語り継ぎ、伝えていかなくてはならないと思います。繁内理恵さんの『戦争と児童文学』は、戦争を描いた多くの児童文学作品が語りかけるものを、真摯に、熱意をもって受け止めた評論集です。その願いや祈りを、未来に語り継ぐことで、次代の読者に物語を受け渡していきます。同書の中で『第八森の子どもたち』についても、一章が割かれ 物語の時代背景も含めて詳細に論じられています。僕はここまで、クラップヘクに「守られた」子どもであるノーチェの幸運について触れてきたのですが、繁内さんは「守られなかった」子どもたちについて言及し、論考を深めていきます。また、多くの人たちに手を差し伸べるクラップヘクのおやじさんとヤンナおばさんのヒューマニズムについての考察は、ナチスドイツの優生思想や「浄化」に反駁するこの物語の持つ強い意志を明らかにしていきます。弱者や犠牲になった人たちに向けられた作者の眼差しを受け止め、自分自身を投影したノーチェのように「守られた」子どもであった作者が「守れなかった」子どもたちへの悔恨が描かれていることをここに見出しています。それぞれの大義の下に戦争は行われます。しかし、大義以前にヒューマニズムを失った先に、人として生きる歓びは残されているのか。戦争を描く児童文学が問いかけるものを、僕もまた真摯に受けとめなければならないと痛感しています。