紙の心

Cuori di Carta

出 版 社: 岩波書店

著     者: エリーザ・プリチェッリ・グエッラ

翻 訳 者: 長野徹

発 行 年: 2020年08月

紙の心  紹介と感想>

図書室の本に挟まれていた、知らない人からの手紙。それに返事を書いて同じ本にはさんでおくと、さらに返信が。なんてことから見知らぬ同士で文通がはじまる、古式ゆかしい手紙ロマンあふれる物語です。ティーンエイジャーの男女二人が、ノートを破って、書き綴っていく手紙は、キプリングの『プークが丘の妖精パック』に挟さまれていました。二人はお互いのことを、物語の登場人物になぞらえて、ダンとユーナと呼び合います。この文通が楽しくなっていく二人は、ほのかに恋心まで抱きはじめます。会おうと思えばいつでも会える距離にいるけれど、会う勇気がでない。手紙を同じ本に挟みにいくのだって、わざと時間をずらして、顔を合わせないようにしているのです。手紙の返事が遅いだけで、嫌われたのではないかと心配になってしまう。そんな思惑をまた素直に書き綴る、浮かれた青春真っ盛りのこの二人は、そもそもどこの誰なのか、という疑問が、読者には次第に大きくなってくるはずです。どうも、この二人のいるところは普通の場所ではないようなのです。図書室といっても学校ではありません。ここは研究所と呼ばれている施設で、お仕着せの制服を着せられて、寮のような共同生活を同じ年ごろの子どもたちと送っていますが、みんな番号で呼ばれています。携帯電話もパソコンもない。勉強もするようですが、受験などの目的があるわけではなく、主にスポーツや読書に時間を費やしています。ダンとユーナはこの研究所の別棟で暮らし、共用の図書室に通っていることもわかってきます。ここは一体、どんな場所なのか。二人の手紙から、次第に彼らの置かれている状況があきらかになっていきます。謎めいた展開と、ただ紙の上に自分の気持ちを寄せて、気遣う心を相手に届けようとする文通ロマンがみなぎる物語。以下、ネタバレしていきますので、ここまでの紹介で興味を持たれたら、以下は無視して、是非、この本を読んでみてください。先が知りたくてたまらない、読書の愉悦にあふれた時間をお約束できます。

子どもたちは、自分が何故、ここに連れてこられたのか、実は、良くわかっています。周囲とは隔絶した閉鎖環境で生活を送っているのは、治療のためです。だから薬を飲みます。しかし、病気ではありません。心に深い傷を負った子どもたちが、その辛い記憶を取り除くために、ここで過ごしていたのです。研究所のスタッフは優しく子どもたちに接してくれます。ここで大人しく過ごしていれば、薬の効果で辛い記憶から解放される。とはいえ、好奇心にあふれた年頃の子どもたちは、この無味乾燥な空間の退屈さにも飽き、カロリー計算された食事では満足できなくなることもあるのです。ダンが『三銃士』になぞらえて、アラミス、ポルトスと呼ぶルームメイトと一緒に冒険に向かった場所は、調理室。満たしたかったのは空腹だけだったのか。夜の廊下を進むうちに、ある部屋から聞こえてきた大人たちの会話に、ダンは耳をそばだてます。それはこの施設に何か秘密が隠されている暗示でした。謎めく保管室の存在。研究所の人たちが恐れる「猟犬」とは何を示しているのか。ダンの冒険を彼からの手紙で知るユーナは、その身を案じながら、より心を近づけていきます。どうして自分がここにきたのか、その過去を打ち明けあい、記憶を消さねばならない、その辛い気持ちを共有する二人。やがてダンはこの研究所の恐ろしい秘密を知ってしまいます。子どもたちがここに連れてこられた真の目的とは何か。ダンは仲間たちとともに行動を開始します。まだ見ぬダンからの手紙が届かなくなり、心配を募らせていくユーナ。果たして、二人は巡り会うことができるのでしょうか。

意外にも、物語は昔のジュブナイルSFのようにシンプルであり、少年少女が互いを一途に思いやる純粋さには裏表がありません。これを意外だと思うのは、STAMP BOOKSレーベルから刊行された本という先入観からです。鋭く社会をえぐるものでも、児童文学として極まったものでもなく、実はちょっと拍子抜けしてはいるのです。実はクローン人間の製造施設でした、とか、彼らは伝染病で世界が死滅した後に残された人類でした、とか、ありがちな想像もしたのですが、この施設の真相もディストピアものとしては比較的、大人しいものだったかも知れません。逆に現実にありうる恐ろしさを孕んでいる世界がここに展開されています。物語の魅力は、ミステリアスな展開もさることながら、15、6歳のティーンが、本に挟んだ手紙での文通をするというコミュニケーションの制約条件です。相手の手紙がくるまでの待ち時間がもどかしく、あれこれと想像してしまうことも文通ならでは。言葉だけで盛り上がっていく二人の恋愛ですが、なにか思わぬ落とし穴があるのではと心配してしまうほどのテンションで、まあ、そこが微笑ましいところでもあります。図書室に置いてある本を少年少女らは良く読んでいます。このタイトルや内容がたくさん引用されているのも興味深いところです。訳書後書きの中でブックガイド的に紹介もされています。で、これが20世紀初頭ぐらいまでの作品ばかりの、いわゆる名作揃いです。前述のキプリングやデュマや、メルヴィル、ジャック・ロンドン、マーク・トゥエインなど。近年の作品が出てこないのが、何か理由があるのでは、とそんな深読みもしたくなるようなラインナップでした。それにしても、この後、どうなるんだろうと思うようなエンディングなのですが、その先に広がる未来に期待しつつ、物語の甘さを味わいたいところです。