出 版 社: 岩崎書店 著 者: 岡田なおこ 発 行 年: 1991年11月 |
< 薫 ing 紹介と感想 >
脳性マヒで身体を自由に動かすことができない薫。運動どころか文字を書くことさえままならない。そんな彼女が普通高校に進学しようと決めたのは、大いなる挑戦心からでした。これまでとは違う世界を見たい。自分をためしてみたい。養護学校の友だちから離れて、一人だけで別の世界に行くことには相当の覚悟が必要です。そこがどんなに居心地が悪いとしても、もう戻ることはできない。家から近く、薫が一人で通える高校は、ツッパリ校と呼ばれている公立高校で、あまり評判は良い学校ではありません。嫌がらせをされたり、イヤな目に遭うこともあったけれど、同級生たちとの距離を、薫は次第に縮めていきます。何分、自分の身体を自分で制御できないために、自己紹介するだけで悪戦苦闘せざるを得ない薫です。相手は相手で、言葉を聞きとることもできず、薫に対して申し訳なく思ってしまう。そんな気まずい関係。それでも、少しずつ、薫は教室での自分の居場所を見つけていきます。美談ではなく、善意の物語でもなく、等身大のあたりまえな子として薫が進んでいく、がむしゃらな高校生活がここに輝いていました。第30回野間児童文芸新人賞受賞作です。
四半世紀ぶりの再読です。重度の脳性マヒの女の子が普通の学校に行く物語である『わたしの心のなか』を読んだ際に、この『薫ing』のことが、頭に浮かんできて、遠からず読み返そうと思っていました。薫が車椅子を使っていた印象があったのですが、この作品の次に岡田なおこさんが書かれた『真夏のscene』と混同していたようです。それでもパワフルな印象は記憶どおりでした。薫が随分と辛辣なことを人に言う場面もあって、彼女の熱さを思い出しました。意地悪で言うのではなく、それは怒りから生じたものです。心がいじけた人間に対して彼女が向ける視線はとても厳しい。それは彼女自身に向けられている視線の裏返しであり、自分への叱咤なのかと思います。気を張って精一杯生きている姿が、痛々しくもあり、その弱さゆえの強さにぐっときます。要は、意地っ張りなのです。意地を張らなくては立っていられないのです。この物語はごく普通の高校生たちの日常的なドラマを描いたもので、その諍いも歓びも他愛のないものです。そんな日々を全力で生きていく薫の雄姿に勇気づけられる物語です。
人が自分に向ける視線の冷ややかさや、悪気もなく無意識で浴びせる心ない言葉。作者自身が主人公と同じ脳性マヒであり、感じとってきた痛みが鋭く表現されているのかも知れません。薫の周囲にいる人たちもまた、彼女にどう接したらいいのか葛藤し、戸惑いながら、壁を乗り越えようとしていることに薫自身も気づいていきます。バランス調整や間の悪い気遣いが、余計に空気を重くすることもあります。スマートにはいきません。デコボコの道を手探りで進んでいけばいいのだと、読者もまた実感する物語です。バリアフリーに関する意識はこの本の刊行当時からは随分と進んだとは思いますが、この作品に比肩する障がい者視線の物語は、国内作品ではその後、登場していない気がします。いや、本質は不自由な身体のうちにある自由なスピリットであって、ことさら障がいを意識することが、などとグルグルするあたりが自分の限界で、まだまだなところです。正解は見つけにくいものです。刊行当時に読んだ際には意識しなかった時代感を今回の再読では感じました。素早く筆記できない薫は授業をカセットテープレコーダーで録音しており、テープの裏返しにも苦労します。もはや死語だなと思うフレーズも多くて、驚きました。当時の公立高校の雰囲気なども今となっては懐かしいところです。国内のヤングアダルト草創期で、児童文学にジュニア小説の感覚が混淆し始めた頃だったかと思います。同級生との距離感など後のY A作品(たとえば『トーキョー・クロスロード』とか)にも通じるものがあるかなと。そうした感覚で障がいを持った主人公が語られたという意味でも、稀有で先駆的な作品でしたね。