出 版 社: 岩波書店 著 者: マイケル・ウィリアムズ 翻 訳 者: さくまゆみこ 発 行 年: 2013年12月 |
< 路上のストライカー 紹介と感想>
この物語が書かれた当時、舞台となったアフリカ南部の国、ジンバブエは、三十年以上も続くムガべ大統領の独裁政権の圧政下にありました。現体制に対して反抗する野党勢力やその支持者を虐殺することも辞さない非道がまかり通る、民主的な選挙など望むべくもない政治情勢です。この体制は国防軍のクーデターによって2017年に覆されていますが、フィクションであるこの物語が、確実に存在した過酷な時代を繋ぎとめています。さらに物語は、こうした国家であったジンバブエから逃れてきた難民の人々を排斥する南アフリカでの虐殺事件を描いていきます。ジンバブエと南アフリカでの二度の惨劇に巻き込まれ、家族を失った少年には、深い絶望がもたらされました。非常に重く、残酷な物語です。その絶望の先に何が残されているのかが問いかけられています。それでも生きる意味はある。そう信じられる希望を少年が見出していく姿が胸を打ちます。主人公はストリートサッカーのワールドカップの代表選手となり国家の名誉を背負います。しかし、二つの国家が少年にもたらしたものはなんだったのか。恩讐をこえて、絶望の底から生きる意味を掴んでいく力強い物語です。青少年感想文コンクールの2014年の課題図書にも選ばれた作品です。この本を読んだ多くの子どもたちは、その後すぐに起きたジンバブエの政治変動に関心を向けたのではないかと、そんな読書の効用も思います。
ジンバブエ中に兵隊が出没し始めたのは、飢えに苦しむ人々のために、大統領が食糧を供給してくれたから、ではありません。国民の不平が高まりを武力で鎮圧する。反体制派に投票した人間を端から粛清していく。そんな恐怖で人々を支配する圧政が行われていたのです。デオが仲間たちと牛の皮をなめして作った、ありあわせのボールでサッカーに興じていた時、現れた兵隊たちは、支援を期待する村の人々に難癖をつけて略奪を行い、やがて銃を照射し、虐殺を実行しました。兵士に拉致された兄のイノセントを探していたために、兄とともに難を逃れたデオは、戻った村で祖父も母も友人たち全てが殺された惨状に途方に暮れます。兄のイノセントは十五歳のデオより十歳上でもう大人ではあるのですが、知的障がいがあり、小さな子どものように振る舞います。物に固執したり、聞き分けのない兄をなだめすかしながら、苦労をして逃げ延びたのは南アフリカです。ここに幼い頃に別れた父親がいる可能性に望みをかけていたのです。乗せてもらったトラックで検問所を抜けるのも命からがら、国境の街でなんとか伝手を使って南アフリカに入ろうとするものの、途中、自然保護区では危険な野生動物に囲まれたりと危機が続きます。南アフリカの農場に落ちつき、安定して生活ができるようになったのも束の間、父親に会う希望をつなぐため、ジョジの町に向かった兄弟にはさらに困難が待ち受けています。ジョジで知り合った人たちと粗末な仮設住宅で共同生活を送るデオは、南アフリカの人たちが自分たち外国人に向ける憎悪に気づきます。そして、デオには、兄のイノセントが、人々の怒りの矛先を向けられ犠牲になるという過酷な結末が待ち受けていました。いや、これが結末ではなく、人生は続いていきます。ここがポイントです。
作者あとがきによれば、2008年に南アフリカで起きた外国人襲撃事件が、この物語を描く契機となっているそうです。イノセントの死は、この事件がモデルです。難民が自分たちを脅かす存在だと思った人は、難民が難民となった理由をわかっていたのか。作家の疑問と憤りがこの物語を生み出しました。架空のジンバブエの少年たちのエピソードは、実際に難民の青年たちに取材して描かれたリアリティのあるものです。逃げのびた南アフリカで最愛の兄をも失ったデオ。その十八ヶ月後を描く最終章で、デオは絶望したまま、シンナーに溺れて、自分を見失っています。そこからの再起は、物語の冒頭からデオと共にあったサッカーの存在です。物語を通じて、サッカーは常にデオの側にあり、サッカーを通じてコミュニケーションを育んできました。スカウトされたデオが、南アフリカ人と難民との混成チームで挑むストリートのワールドカップ。難民であるかどうかではなく、優れたサッカー選手であるかどうかということ。次のステージに進もうとする、デオの心の裡にあるものは、想像の域を出ないのですが、恩讐を越えて、人が生きる意味を見出していく姿に力強いものを感じます。さて、南アフリカ共和国もまた大きな変容を経て、民主化の道を進んできました。本書の前年に翻訳刊行された『大地のランナー』は、南アフリカ共和国がまだ人種差別政策を推し進めていた時代から、民主化へと向かう姿を、一人の少年の目を通して描いた物語です。その後の南アフリカの姿を、この『路上のストライカー』で知ることになります。子どもの視座から世界を知ること。その心の痛みや怒りを目の当たりにすることで、近づける世界はあると思うのです。