出 版 社: KADOKAWA 著 者: 村山早紀 発 行 年: 2008年12月 |
< 黄金旋律 紹介と感想 >
世の中に絶望するだけでなく、自分自身にもとことん失望してしまった時、ようやく開かれる扉があります。それはギリギリの瞬間まで開かない扉で、この物語では、なんと130ページ近くを待たなければなりません。自分をとりまく世界に責任を転嫁することもできないまま、深く深く絶望する。強い自己不信。人間、一体、どれほどの失意があったら、「もうひとつの世界」に行ってしまえるのだろうかと思うのです。そして、悪い夢のような現実から逃れた先は、そこはまた悪夢の世界なのか。ファンタジーの常套としては、これまでの現実を凌駕するもうひとつの世界で、主人公は苦闘の末に失われてしまった希望を取り戻す、はずなのです。そのためには通過儀礼として現実世界での受苦(パトス)が必要となります。しかし、この現実での受苦は少年にとって、非常にハードなものではなかったのか。ライトなファンタジーかと思っていたところ、読み進むと、どんどんとヘビーになっていくので驚きました。あの『クレヨン王国のパトロール隊長』の前段のような重さ。片山若子さんのファンシーな表紙に油断してはいけない、ということです。主人公が、否応なくたどり着く、もうひとつの世界はいつか見た幻影の荒野です。そこには、かつての現実世界よりも、もっと過酷な状況が待ち受けています。さあ、それでもページをめくらなくては。主人公と一緒に、震えながらも活路を見いだしていく、ワクワクするような冒険の旅が始まります。
交通事故で脳に損傷を受けて意識を失ったまま、現代の医療では治療を断念された少年、臨は、いつか再び目覚めるその日まで、未来の医療に期待を託し、コールドスリープ(人工冬眠)の被験体となります。臨が眠っている間に二百年以上の歳月が流れ、その間、人類は未曾有の危機を経験していました。地球温暖化による食物の枯渇と飢饉、そして、第三次世界大戦。核兵器や生物兵器の使用による地表の汚染。さらに彗星の激突。地殻は変動し、陸地の形も変わり、壊滅状態になった地上には廃墟だけが残されていました。かつて戦争の時代に造り出された恐ろしい生体兵器たちが徘徊し、ミュータント化した動物たちが蠢く、驚愕の未来。その世界に、たったひとり少年の姿のままで臨は目を覚まします。見渡すかぎりの荒野には人間の姿はありません。人間がいない病院は看護ロボットとコンピュータが管理しています。ネット環境は生きているものの他のコンピュータとの通信はできない状況。まさに荒野のスタンドアローンの病院に、一人で甦った臨は、過去から託されたメッセージを開きます。交通事故に遭う直前まで、過酷な現実に挫け、激しい失意に苛まれていたかつての臨。その現実は、今や遥か遠くに消えてしまいました。家族や友だちも、目覚めない臨を偲びながら、年を取り、亡くなっていってしまった。臨に残されたものは自分の身体ひとつのみ。そして、失意のうちにあった過去の現実が自分にとって大切なものだったことを知るのです。この荒野でこれから何を目指したらいいのか。かつて夢で見た幻影の世界が臨にとっての現実となった今。荒野に取り残された病院を出て、再び人間とつながる、そんな希望を胸に臨は新たな一歩を踏み出していきます。
冒険ファンタジーというよりも、懐かしのジュブナイルSFという印象です。動物から人為的に進化させられた生体兵器との戦いや交流はクーンツの『ウオッチャーズ』などが思い出されますし、人工冬眠からはるか未来に目覚めるという道具立てもSFではお馴染みのところですね。新味はないものの安定した定番感のある題材です。少年を主人公にしたファンタジーでありながらも、昨今のライトノベル的ではないなと思うのは、偏向したキャラクター付けもなく、主人公の気性がとても真っ直ぐなところです。過酷な現実に、ちょっとスネざるを得なくなってしまったものの真面目で前向きな子なのです。このあたり、児童文学系ファンタジーの美点を踏襲しているところですね。主人公が心の成長を経て、沢山の気づきを得ることや、素直に感謝や喜びを表すことも児童文学系の良さがあります。300ページを超える紙片で完結しながらも、おそらく物語としては、まだまだ序盤戦。臨はようやく未来世界の住人たちと出会いました。ここで集まった個性的な「旅の仲間」たちは、これからどんな冒険に向かうのか楽しみなシリーズとなりそうです。YAの新レーベルがどんどんと立ち上がる昨今ですが、この角川書店の『銀のさじ』という新レーベル、村山早紀さんのこうした作品を刊行したことだけでも、今後に期待が持てそうです。
※で、この文章は刊行当時に書いたものですが、『銀のさじ』はいつの間になくなったのか、2013年にPHP文芸文庫から再刊されていました。続きはどうなったのでしょうか。