かすみ川の人魚

出 版 社: 講談社

著     者: 長谷川まりる

発 行 年: 2021年11月

かすみ川の人魚 紹介と感想>

ファンタジーだと思って読んでいたら、実はSFでビックリした、なんて作品があります。例をあげれば、栗本薫さんの『グインサーガ』やブラッドリーの『ダーコーヴァ年代記』などの大長編シリーズがそうでした。「剣と魔法」の世界のお話だと思っていたら、太古に墜落した宇宙船の放射能などで世界が変容し、その影響で異質な文化が発展していった、というような(科学的な)事実が、シリーズ途中で明らかになります。不思議な能力や現象も科学的に説明がつけられていくのも面白く、世界観がひっくり返されます。さて、この物語では小学生男子二人が「人魚」を発見するのですが、それが幻想世界の妖なのか、化学実験で生み出された怪奇なクリーチャーなのか、判然としないまま物語が進行していきます。どちらの可能性もあるものですし、どうもただの御伽噺や不思議なお話ではない予感がするのです。果たして、人が「人魚」と出会った時、それをどう解釈して、受け入れたらいいのか。そもそも人智を超えた常識では理解しようのない生き物です。小学生男子二人は、この「人魚」をどう捉えたのか。自分とは違う、人それぞれの考え方があるということへの気づきもまたここに生じます。この物語は一体、どこに行き着くのかと目を離せない展開が続きます。魚と人間が結合した異様な生物は、汚染物質によって生まれたミュータントなのか、秘密組織によって作られた実験動物なのか、あるいは妖怪か妖精か、神話上の生き物か。この物語はファンタジーかSFか、それともホラーなのか。そして、その答えが「児童文学」なのだ、という帰結には陶然とさせられます。この独創的な奇想の物語は、ありていなコラージュではないオリジナリティを強く標榜します。「人魚」をめぐる回想の少年時代を描く物語。大人もまた、そわそわとして浮き足立ってしまうような、心のツボを押しまくられる作品です。

小学五年生の男子、大賀が学校のすぐ近くを流れる、かすみ川で「人魚」を見つけたのは秋のことです。鯉かと思ったものの、魚の胴体の先につながっているのは人間の上半身なのです。灰色の髪が生えた頭と水かきがついた五本の指と背びれ。汚いかすみ川の水に横たわる七十センチほどの人魚を、大賀は唯一の友人である千秋と一緒に救い出し、近くの大塚山にある人気のない池で匿うことにしました。男か女かもわからないきれいな顔立ちをした人魚は言葉を話すこともなく、ただじろりと見つめるだけ。驚くべき発見をした二人は、誰にも知られぬように隠れて色々な食べ物を与えて人魚を観察します。怖いと恐れる千秋と違い、大賀は不気味だけれど、よく見ればかわいいとさえ感じはじめます。二人がかすみと名付けたこの人魚は、一体、なんなのか。千秋は研究所から逃げた実験動物ではないかと推測しますが、大賀はもっと神秘的でロマンのあるものだと考えています。知能があるのかも分からず、それでもわずかに意思疎通がはかられているような気配に一喜一憂する大賀。やがて、かすみの身体が次第に変化しているのではないかと感じはじめた二人が、よく確かめようと、池から、かすみを出そうとしたことから、恐るべき事態が引き起こされてしまいます。危機に陥った千秋のために、大賀は、ある取引を、人魚を探している、人魚とそっくりな顔をした若い女性と交わすことになります。不老不死の妙薬にもなるという人魚の伝説。謎めいた展開は一体、どこへ行き着くのか。最後まで気が抜けない物語です。

子ども時代の自分の性格上の問題点をリアルタイムで把握するのは難しいことで、周囲と上手くいかなかった理由を冷静に分析できるようになるのは、やはり大人になってからでしょう。いや大人になっても、上手くやれていない人もいます。大人は、そんな自分として生きてきたプライドもあるから、もはや自分を変えることもできません。この物語は、大人になった大賀の回想の物語として語られていきます。クラスに友だちがおらず、他のクラスの千明とだけ遊んでいる大賀。人魚をめぐる冒険は、周囲から浮き上がっていた少年に、多くの気づきを与えて、周囲の人たちとの関係性を捉え直させます。人はそれぞれどんなふうに世界を見ているのか。その気づきは、頑なだった一方向からの大賀のものの見方をほどいていきます。子ども時代の気づきの鮮やかな瞬間が、大人目線で回顧される妙味がここにあります。回想の子ども時代は、たいてい靄がかかっているものですが、そこには自分の思い込みフィルターがあるのも知れません。意地悪な同級生しかいなかったな、なんて心象も、自分の心が織りなした風景かも知れないものです。子どもの時に出会った不思議なおじさんは、大人になって冷静に考えるとただの変質者だったな、なんてこともあるので、不思議のままにしておきたい思い出もあるものですが。ともかく、少年時代のノスタルジーを手玉にとって解体する物語は、不思議とロマンと怜悧な考察に富んだ、新奇な成長物語を織りなしていきます。オリジナリティ溢れる新たな児童文学の魅力を味わえる一冊です。