出 版 社: 講談社 著 者: 福田隆浩 発 行 年: 2019年06月 |
< 手紙 ふたりの奇跡 紹介と感想>
人はその「死にざま」で、これまでの人生を上書きされてしまう。そんな虚無的な死生観を小学六年生が抱くに至ったのは、どんな経験をしたからか。それまで立派に生きてきたとしても、やがて年齢とともに衰えて、結局、最後は自分では何もできなくなる。家族の介護も限界を迎えて、施設に収容されて亡くなった祖父に対して、小学六年生の耕治は複雑な気持ちを抱いていました。それでも亡くなった祖父のことを作文に書くとなれば、本心とは裏腹にきれいごとを並べてしまう。耕治には文才があり、その作文はコンクールで大きな賞をとってしまいます。自分の心を偽って書いた作文が評価されてしまったことや、同級生たちからは「ブンゴウ」とからかわれるようになり、作文を書いたことを耕治は後悔するようになります。しかし、そんな耕治の作文に感銘を受けた、同じ小学六年生の女の子がいたのです。耕治の住む長崎から遠く離れた秋田に住む穂乃香は、耕治の小学校気付で彼に手紙を出します。穂乃香は作文の感想を述べるとともに、耕治にひとつの依頼をします。長崎に行けない自分に代わって、調べて欲しいことがあるというのです。こうして、遠隔地に住む小学六年生同士の交流が始まります。メールやSNSではなく、古式ゆかしい「手紙」でやりとりをする「ペンフレンド」になった二人。非常に真面目な小学六年生である二人は、穂乃香の母親が高校の修学旅行で遭遇した「奇跡のような出来事」の謎を解きながら、互いに内面を吐露しあい、真摯な対話を続けていきます。このやりとりの実に生真面目なこと。そして、小学六年生の男女という微妙な面映さ。お互いに家族を失った同士であるという連帯感もあり、二人の心が結びついていくプロセスが心地良く響いてくる物語です。
穂乃香が耕治に依頼したのは、亡くなったお母さんが遺した言葉の謎を解くことでした。穂乃香の両親は離婚しており、父親と暮らす穂乃香は、離れて暮らすお母さんとたまにしか顔を合わせることもありません。恐らくは、お父さんの実家での同居でお祖母さんと折り合いが悪くなったのだろうお母さん。家族と別れて東京で一人で働きながら暮らしていたお母さんは、幸せな人生だったのだろうか。穂乃香はお母さんが語っていた、修学旅行先の長崎で経験したという奇跡のような出来事に興味がありました。それはお母さんの人生にも幸せなことがあったという証拠になるものだったのです。一人で病気で亡くなった、お母さんの淋しい死に方を思いながら、その死に方が、人生を上書きしてしまうことになるとは思いたくない穂乃香。耕治と穂乃香は人が生きる時間の歓びや素晴らしさを証明するために、穂乃香のお母さんに起きた奇跡のような出来事がなんだったのかを探ろうとします。お母さんが穂乃香に与えた数少ないヒントを元に、現地、長崎で調査を続ける耕治。しかし、これが難題です。長崎に住む人なら誰でも知っている「キッチン」の本当の名前とは。このヒント、答えがわかっても腑に落ちないというか、最終的な正解にたどり着いたこと自体が奇跡的だと思います。しかし、穂乃香ののために、そして自分自身のために、人が生きていた時間の素晴らしさを証明しようと調査を続ける耕治の執念が実ります。少年と少女が謎解きをしながら心の交流を続ける姿が、微笑ましくも床しい心地良さを感じさせます。
他愛もないことだとしても、人の気持ちをあたたかくするような出来事はあるものです。ただ厭世的な気持ちになってしまうと、たいていのことはつまらなく思えてしまう。卑近な例ですが、昨今(2019年現在) は、あおり運転問題など、車のマナーの暗黒面が取り沙汰されがちですが、実際、自動車を運転していると小さな譲り合いに遭遇することは良くあり、人の親切をありがたく思うことは多いのです。自分はそんな理由で運転が好きなのですが、そんなことは当たり前であって、歓ぶようなことではないと思う人もいるでしょう。否定的になると、人はとことん否定できるのです。どうせ死にます。しかし、死ぬことを前提に考えた時、どう生きるか問題が浮上します。どんな人生にも歓びはある、かどうかは感じ方や考え方次第であって、世界を黒く塗りつぶすのも気持ちひとつかも知れません。この物語、小学生二人が、ついぞ虚無的になってしまいそうな気持ちを、なんとか食い止めようとしているように見えます。嫌なことは沢山ある。けれど、生きる歓びはある。性格の波長が合い、互いをなんとか引っ張りあげようとする二人のパートナーシップが結ばれたことは偶然ですが、これ自体を奇跡と呼んで尊ぶことも生きる糧になるのだと思います。いや、そうすべきなのです。ところで、この物語ヘのちょっとした希望としては、耕治は穂乃香 に頼られ、ほめられているわけですから、年頃の男子としては、もっと調子に乗ってもいいのではと思うのです。非常にストイックな印象の耕治なのですが、女の子にモテて浮かれてもいいんじゃないかと。そうじゃないところが彼の謙虚さで好印象を与えられるところですが。仄かな自負を彼の文章の中に見つけることもまた楽しみのひとつかな。この物語、二人の、ちょっととり澄ました手紙にはエゴイスティックな部分が出てこないのですが、手紙の向こうにある表情を想像するのは楽しいところですね。