ユンボのいる朝

出 版 社: 文渓堂

著     者: 麦野圭

発 行 年: 2018年11月

ユンボのいる朝  紹介と感想>

88ページの挿絵のインパクトに震撼させられます。メンタルダウンで会社に行けなくなったお父さんが、ソファの上でひざと枕を抱えてテレビを見ている構図。ストライプのパジャマを着て、無精髭を生やし目を見開いて、ぼーっとしているお父さん。学校から帰ってきた幹は、そんな父親の姿を背後から見ながら、失意の表情を浮かべています。この地味な修羅場を一枚のイラストに収める大野八生さんの画力の凄さを思い知らされます。お父さんは、うつ状態なのですが、毎日、会社に行こうとしています。そして、案の定、具合が悪くなり休んでしまうのです。夜は眠れずに苦しんでいる。これはもう無理にでも出社停止にして、しばらく休職させないと駄目な状態だと思うのですが、お父さんの雇用条件や会社の福利厚生も良くわからないところなので、なんとも言えません。うつ状態の中年会社員の姿をまざまざと見せつける衝撃的な児童文学ですが、心を病んだ親を持つ子どもの気持ちにもまた、焦点が結ばれています。励ますことは人を追い込むことになると言われて「がんばれ」が禁句になった家の中で、自分も「がんばれ」と励まされることもがなくなってしまい、寂しい気持ちを抱いている幹。学校でも彼を悩ませる問題があり、誰にも話せない心は、重くなり続けます。そんな幹が思いをかけるのは、マンションの窓から見える解体工事現場のユンボと呼ばれているパワーショベルでした。そのオペレーターの青年との交流によって、鬱屈とした幹の心は紐解かれていきます。ビルを解体するユンボの圧倒的なパワーが、この閉じた世界を一蹴する。そんな思い切った飛躍もまた悪くは無いと思うのです。

学校で幹を悩ませているのは菊池君の存在です。五年生になって同じクラスになった菊池君は幹に対して、徐々に支配力を強めようとしていました。給食のデザートのプリンを配る際にさりげなくもう一つ掠め取ってしまうような菊池君の悪びれない行動を、幹は恐怖しています。放課後、近くのコンビニで物を盗む菊池君の姿を見せつけられたり、文房具店に連れて行かれて、みきもまた万引を強要される。気弱な幹は菊池君に抗うこともできないまま、自分も盗みを働いてしまったことに罪悪感を募らせることになります。一方で、これまで忙しく働き、休みの日も家にいないことが続いていたお父さんは会社に行けなくなっていました。楽な部署に異動させてもらったものの、お母さんはお父さんのこの先のことを心配してなのか、仕事に出るようになり、お母さんの笑顔をもまた少なくなっていきます。次第に無気力になっていくお父さんに心を痛めながら、自分の胸に抱えた万引のことを誰にも言えず、追いつめられていく幹。ふとしたきっかけからパワーシショベルのオペレーターの青年、博巳さんと話をするようになった幹は、自分の気持ちを打ち明け、アドバイスをもらうようになります。クラスの中で、はじかれた存在になっている菊池君の気持ちにも気づき始め、今まで見えていなかったものに意識が向かうようになる幹。お父さんの状態も一足飛びに良くなるわけではないけれど、その状態を受け入れ、一緒に歩いていこうと幹は思うのです。

幹の好きな食べ物はお母さんの手作りコロッケです。それなのに、お母さんが働き始めてからは、買ってきた出来合いのコロッケがオカズとなり、幹は失望を隠せません。ボソボソして美味しくないのです。コロッケという物は、軽く見られがちですが、家庭料理として作るとなると、相当、手間がかかります。お父さんが変わってしまい、お母さんが働き始めた今となっては、手作りコロッケはご馳走なのです。普通だと思っていた、実は豊かな生活が壊れてしまったことの象徴的な意味合いがここにありますが、昨今の子どもの貧困などを考えると、贅沢感ありか。お父さんの変化を受け入れることも幹には時間がかかります。友だちに、お父さんが働いていないことに勘付かれて動揺したり、お母さんの態度の中に、お父さんに嫌気がさしている様子がないかを気にしたり、非常に細かいことに振り回され続ける幹。それでも、自分のできることからやっていこうとすることで、いくつかの事件は解決していきます。謝ってばかりいるお父さんにイライラしてしまうこともあるけれど、全てを寛容に受け入れなくても、我慢しなくてもいいという気づきがあります。幹の緊張が次第に解けていく様子に、正直、見ていてホッとしました。肩が凝る物語です。パワーショベルが豪快に全てを叩き壊していく。そんな無双の夢想を少年が描いてくれれば、それもまた良しかなと。まだまだこれからが大変だものなあ、と、けっこう心配しています。