あたらしい図鑑

出 版 社: ゴブリン書房 

著     者: 長薗安浩

発 行 年: 2008年06月


あたらしい図鑑  紹介と感想 >
世の中でもっともカッコ良く、モテる職業と云えば?。そう、それは「詩人」です。野球少年の中学一年生、純は、試合でケガをした治療と扁平足の矯正で通う病院で、骨折の治療にきていた詩人、村田周平と出会います。この無頼派の老詩人は、実に191センチの巨体を誇る、一見、外国映画のギャングと見違えるような男丈夫。背が伸びないことを気にしている141センチの純が、見上げるような大男なのです。そして純と同じ扁平足でもある。かつては教科書にもその詩が採用されていたという著名な詩人も既に八十歳。ただ詩人は大家でありながら、ごくフラットにこの年少の友人とも対してくれます。おっかなびっくり言葉を交わすようになった純が、ある日、誘われて、詩人の家を訪れたのはギプスのせいで野球ができない無聊からだけでもありませんでした。七回結婚して、七回奥さんに逃げられたという詩人は、高齢なのに、ただ「猫」とだけ呼んでいる猫と暮らしているヤモメ生活。純は、詩人の「あたらしい図鑑」という構想ノートを見せてもらい、これまで知りえなかった世界に遭遇します。それは詩の真髄。心のもやもやをつかまえようとするアクション。言葉では捉えられない何かを言葉で表現する探究。純もまた、あの、多くの人間がはまっていった奥深い「言葉の森」への第一歩を踏み出してしまいました。ど真ん中を射抜く鋭い言葉と浮遊する不思議な世界感覚を持った作品。YA常套のボーイ・ミーツ・オールドボーイでありながら、類型に流れない。詩人の粋なたたずまいもまた効いています。そう、カッコイイとはこういうことさ、なのです。

中学一年生。その第二次性徴期の知的好奇心とエロが未分化でないまぜになった混淆が実に明快に描かれています。言葉というものが表現し得る文学の深淵に興味を抱くのも、友人と比べて自分の陰毛の生え具合が遅いのかどうかを気にすることも、少年の中では等価なのです。このあたり男性作家ならではの少年像のあけすけさと、ロマンティシズムが同時に描かれていて実にいい感じです。少年はやみくもに辞書を引き、知らなかった言葉の意味に出会います。そこに待っている新しい世界。刺激的な言葉にドキドキするのは、必ずしもエロへの関心や好奇心だけではなく、知的中枢もまた刺激されていくのです。読者としても、列記される、あらかじめ知っていたはずの言葉の定義に、ちょっとビックリもします。そこには、新たな「認識への出発ち」があります。老詩人の持っている世界。友人カマブタ君のわが道を行く世界。そして、図書館で出会った女の子との世界など、新たな世界が純のまわりをめぐります。魅力的な少年の思惑のドラマです。

無自覚さが純少年の大きな魅力です。『唇を凍らし 裸でしかない俺に/できることは/垂直で あること』なんて、現代詩の訳のわからない、あの表現の宇宙に圧倒される、少年のおののきがいいんですね。なんなんだ「垂直」って。これまで見たことがない彼岸に直面する。知ったかぶりをしてはダメ。良く意味のわからない小難しいげな本を読んでいい気になるスノッブは中二病と呼ばれるところですが、純君はまだ中一。また文科系ではなく、スポーツ少年だからこそ、すっと詩の世界に落ちることができたのかも知れません。不純にして純粋なのが少年で、清濁の懊悩前夜が面白く描かれていました。汚れちまった悲しみ、を自覚するまでもないのです。少年の「詩の目覚め」。そして、いつか「詩のわかれ」が訪れるかも知れないのだけれど(訪れなかった生涯一詩人もおりますけれど)、そこに到るまでの進行形の輝ける時間は貴重です。それは、児童文学ダッシュの思春期小説未満だからこそ描きうる混沌です。さて、ボーイミーツオールドボーイの類型性は、残念ながらタイムリミットを孕んでいるものです。この物語もパターン通りの帰結を迎えます。しかしナチュラルで無自覚な世界音痴の迷子同士が出会う物語の魅力は、おおいに発揮され、そして新味がありました。それは、児童文学畑の方ではない作者ゆえに書きえたものでもあったかな。そんな感じがしました。