出 版 社: フレーベル館 著 者: 蓼内明子 発 行 年: 2018年10月 |
< 右手にミミズク 紹介と感想>
この物語の主人公の小学六年生の男子、大城戸丈(たける)には、右と左が判断できないという特性があります。昔の映画(たしか『イースターパレード』)でヒロインのダンサー(ジュディ・ガーランド)がそうだった記憶があるのですが、稀にそうした人がいるそうです。会社員の方は、伝票を入れる際に複式簿記で借方(右)と貸方(左)を合わせる必要に迫られると思いますが(会計システムが進んでいるところは経費精算ぐらいでは意識しないかも)、これもどちらがどちらか分からなくなりがちです(お茶碗を持つ方が借方ですが、右利きの人だけです)。この左右は会社の損益と資産負債などを理解する第一歩ですが、そもそも最初の起票が難しい。自分もプログラムのコードを書いている時にleftとrightを書き間違えがちで、ちゃんと動かないことがあります。もっと感覚的にパッと左右が判断できないものかと思います(これは方向感覚に近いのか)。この物語の主人公の丈は、その左右不覚が日常生活にも支障があるレベルなので、ちょっと大変です。将来、車を運転する際に右折、左折を間違えてしまうのではという恐ろしい想像もしています。なんとかごまかしながら生活を送っているとはいうものの、丈の性格は明るく、この件について、それほど深刻に悩んでいるわけでもありません。仲のいい友だちもいて、女の子ともまったく抵抗なく話ができるし、積極的にアプローチできるという、小学六年生の男子としてはかなり羨ましい資質の持ち主です。家族の仲も良く、左右がわからないぐらいしか困った点がないという子なのですが、そんな彼が同級生の、複雑な家庭の事情に触れることになります。第一回フレーベル館ものがたり新人賞大賞受賞作。受賞後も味わいのある作品世界を作り続ける蓼内明子さんの萌芽がそこかしこに見受けられるデビュー作です。
丈(たける)が、自分は左右がわからないという話で友人たちと盛り上がっていたところ、だったら書いておけば良いと、油性マジックペンで右、左の文字を丈の掌に記してくれたのが北沢実里(みのり)です。東京から地方のこの町に越してきた転校生の彼女は変わっていて、なにごとにもぶっきらぼうで、ちょっと素気無い態度をとる子でした。女子同士の間でも誰かと親しくするわけでもなく、休み時間には図書室に一人でいるような孤高を貫くクールな子で、丈は彼女が浮いてしまうことに内心、ヒヤヒヤしつつ、いつも実里を見ています。突然にマジックペンで文字を書かれて丈もさすがに面食らいますが、このおかげで、すんなりと右左がわかり、逆に家族を驚かせます。そんなこともあって、丈は実里の存在がより気になり始めます。なにせ女子同士の陰湿なイジメを鮮やかに切り返したりするカッコいい子なのです。丈は図書室に行って、実里に話しかけてみますが、相変わらず、その態度は素っ気ないまま。彼女がノートにマンガを描いていることに目をとめた丈は、さらに彼女にお願いして、今度は自分の右手に絵を描いてもらうことになります。右手だからミミズク。このミミズクに丈はなんだかパワーをもらったような気になります。さて、二人で運動会の「クラスの旗」係なった丈と実里はさらに接近します。実里の近所での不思議な行動や、その態度の裏には、家庭の事情があることにも丈は次第に気づき始めます。丈の両親が営む食堂のお客さんである、気難しそうな男性が実里の父親であることを知った丈は、実里の家庭にも不穏なものを感じます。みんなが掌に実里にミミズクを描いてもらい、そのパワーを信じることで、クラスは連帯し、運動会に向けて盛り上がっていきます。実里の気持ちが少しほどけてクラスに溶け込んでいく様子は微笑ましいのですが、家庭問題については微妙な帰結を迎えます。これが実にリアルな重さがあり、考えさせられます。
「耐えられるDV」という謎のフレーズが世間を騒がせたのは2023年1月のことです。この国会議員の発言に、DVにはできるかぎり耐えるべきという意図を読みとった人も多くいて、DVに許容範囲を設けるような考え方にノーが突きつけられました(それが現在の時流です)。公立大学の先生であるという美里の父親は、飲食店で怒鳴ったりと、第三者がフラットに見ても、ちょっと極端な人だという印象を受けます。気に入らないことがあるから怒鳴る、というのではなく、自分なりに正しいと思うことと相容れない場合、抗議する姿勢なので、本人としては間違っていないと思っているはずです。ただ家族としては、そうした父親の態度に支配され、右往左往してしまいます。実里の場合、父親の機嫌を損ねないようにふるまう母親が、ストレスを溜め込んでいく姿に耐えられなくなっています。物語では父親の転勤による単身別居によって距離が置かれることで、暫定的な解決が図られます。頑固親父が許容された時代もありますが、家族が受け身をとって受け流すべきというはお門違いです。実里の父親の場合、神経質かつ短気で爆発しやすいという特性なので、扱いが難しいものと思います。しかしながら、この資質は当人も大変なはずで、社会的にも苦労しているのではないでしょうか。現実であれば、父親自身がアンガーマネージメントを自らに課すことが必要です。カウンセリングを受けるべきですね。いじめもD Vも、する側の心の歪みを矯正しないかぎり解決するものではなく、受ける側が許容する問題ではありません。実里の父親のことを、そういう人だから仕方がないと、どこか諦めてしまうのは、いかがかなと思うのですけれど。ついぞケーススタディのように物語を読んでしまい、問題解決の糸口を探したくなるのは閉口です。児童文学としては、心を痛めている子どもたちの互いへのまなざしの向け方に注目したくなるところです。素直で単純な丈と、屈託があり複雑な実里の関係性に、なんだかちょっといい空気が流れていきます。なかなか学校の友だちに家庭の事情をオープンにすることは難しいし、互いに支え合うなんて至難の技です。とはいえ、家族の関係だけに閉じてしまうと閉塞状態に陥ってしまうもので、丈のようにどんどんとコミュニケーションしていく姿勢が突破口を見出すこともあるのかと思います。左右がわからないぐらい、どうってことないですね(いや、相当、不便でしょうけれど)。