星の町騒動記

オオカミさまあらわる

出 版 社: 理論社

著     者: 樫崎茜

発 行 年: 2022年06月

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子どもは無慈悲で残酷だし、大人はいい加減で無責任です。信じるに足るものなど何ひとつない。そんな無情な世界に置かれた子どもは、そこからどんな覚悟を持って生きていったら良いのだろうか、と思います。実際、グダグダで最低な状況に遭遇するのも人生のアルアルです。自分も小学生高学年の頃、家庭事情×学校事情が色々と複雑で、そこをなんとか乗り切った感があるのですが、無理に飲み込んだものが未だに消化できないまま現在に至っています。あれは大人がもう少し上手くコントロールできなかったかと今にしても思うのは、やはり子どもにはどうにもならないことが多いからです。子ども同士の問題であっても、大人が介在すべきことはあります。ところが大人も賢明とは言えず、ダメな状況に拍車をかけることもあるのです。一時期の児童文学は、ここで大人の手を借りずに、子どもなりの結論で世の中を見切って覚悟を決める、という作品が目についたのですが、近年(2010年代後半ぐらいからか)は、大人の慈愛を感じさせる作品が主流になったかと思います(これは作者の年齢層のシフトが影響していると考えています)。そうした潮流の中で、本書の虚無感は稀有なものであり、同じ樫崎茜さんの作品である『ヨルの神さま』に匹敵する問題作だと思います(この本の帯の「『ヴンダーカンマー』以来の博物館を舞台にした書き下ろし」という惹句は読者をミスリードします。樫崎茜さんの作品としては系統が違います)。軽妙な語り口で進行するユーモラスな物語かと思いきや、だんだん怖くなっていくのは、殺伐とした魂の荒野がここに広がっているからです。翻って、それは人間として真摯に誠実であることを問われる究極の状況でもあり、この物語が見せてくれるものが深く突き刺さってくるシチュエーションです。叱咤すべきは、無情で無常な世界ではなく、不甲斐ない自分自身だと覚悟を決める。ゼロ地点、いえマイナスからでも立ち上がる力を見せてくれる物語です。

聖獣伝説のある町、星の町。ここには、かつて聖獣オオカミさまが異国の宝物を運んできたという言い伝えがありました。聖獣を祀る神社、上の宮の息子である中学二年生の磯辺ワタルは、オオカミさまが発見されたという報告に驚きます。実際、それはただの汚い野良犬ではないのかという疑念を抱かせる動物なのに、ローカル番組で取り上げられ、聖獣伝説は、地域振興のネタにされていきます。聖獣の郷として観光資源にしようと大人たちが目論む一方で、子どもたちも伝説の宝物のありかに関心を寄せ、神社の子であるワタルも俄に注目されるようになります。そんな周囲の騒動をくだらなく感じているワタルは、同級生たちに素気無く対応したがために、執拗ないじめを受けることになります。いじめられながらも、ワタルに去来するのは、クラスの先代のいじめられっ子であった永瀬のことです。ワタルもまた、不潔で人をイラつかせる永瀬を疎外し、悪気もなく蹴りつけるなど、なんとなくいじめに加担していました。それは周囲に協調するためのポーズだったのかも知れません。そんな永瀬が自殺します。いじめを苦にしたものかどうかは明らかにされないものの、一部の生徒たちのメンタルには影響を与え、ワタルもまた永瀬を頻繁に思い出しては、その記憶を打ち消そうとしています。オオカミ様騒動はさらに盛り上がり、鹿などの動物を殺してオオカミ様の供物に献げる御頭祭も企画されます。ワタルはそれに反対するものの、良識的な大人たちでさえ、この動きを止めることはできません。信用できない大人たちの中で、孤立無援のままワタルは、永瀬の自殺への呵責を抱えながら、自分がどうすべきなのか覚悟を決めていきます。

子ども大人も、不本意なことに加担するのは同調圧力のせいです。世の中の大勢には抗えません。一方で、同調圧力のせいにすることで、呵責から逃れることもできます。周りがいじめていたから自分もいじめたし、そうするしかなかった。仕方がなかった、ということで、やり過ごせてしまう。自分がしたことや、できなかったことに、主体的な責任を感じることからも逃れられます。悪いノリだけが幅を利かせていく世の中で、自分だけでも抵抗する。誰もそんなことはしないし、大人だって、事勿れ主義です。子どもは静かに失望していきます。いじめられていた同級生が自殺する、というショッキングな出来事があっても、何の教訓も得ないまま、いじめを繰り返している中学生たちには、ナチュラルに悪気はないし、誰も永瀬の自殺が自分のせいだとは思っていません。うんざりするような無責任さ。オオカミ様をめぐる騒動だって、大人は誰一人、その悪い流れを食い止めようとしません。どうしようもない流れに従うだけです。自分の不機嫌さを小出しにして、人にアピールすることがワタルの処世術です。ただ、彼自身、そうでもしていないとバランスが取れない自尊心の喪失と戦っています。いじめていたことも、いじめられていることも、ひとつも立派なことには思えず、惨めで、自分を誇ることができない。できることは、誰かのせいにすることだけ。そんな最低な地獄の季節を生きています。正しい大人も子どももいない、どうしようもなくクソみたいな世界で、クソみたいな自分が、それでもできることは何か。そこからのワタルの、なけなしの覚悟に気持ちが惹き寄せられます。キレイごとを語らずに突き詰められていくもの。心の中で永瀬に語りかけるワタルに芽生える贖罪と、人は人としてどうあるべきかという問いかけを、見せつけられる重い物語です。