アイとサムの街

出 版 社: ポプラ社

著     者: 角野栄子

発 行 年: 1989年10月

アイとサムの街  紹介と感想>

主人公の少女、アイは十二歳。学校生活については触れられていないのですが、おそらく小学六年生の十二月を描く冬の物語です。クリスマスシーズンです。アイのパーソナリティについて紹介しようとすると、男の子のような格好をして、汚れることも厭わない活発な子で冒険や事件、機械工作が好き、ということよりも、やはり双子の姉妹の一人である、ということが先に立ってしまいます。双子の妹であるミイは、女の子らしくお洒落で、頭の回転も早く、いつも辞書を抱えているようなタイプ。アイの目からは、ミイは双子のなのに、自分よりも美人で頭も良くて、なんて、ちょっとコンプレックスがあります。それぞれ我が道を行く違うタイプの個性的な二人ですが、主人公のアイは、ちょっと自分のアイデンティティについて考えていて、思春期の季節の移り変わりに物を思う気持ちが繊細に描き出されています。双子の物語は、その深い絆が描かれていくものもあれば、個性の違いを際立たせるものもあります。独立した一個の人間であることの存在感と、やはり双子という得難いパートナーがいることの特別感は物語を味わい深いものにします。「男の子みたいな街の冒険者」であるアイに兆す、ちょっと感傷的な気持ちの揺らぎを読ませてくれる物語ですが、ミステリアスな謎解きの展開もあり、また人間の運命の深淵も覗かせます。角野栄子さんとしては、わりと稀少なYA感覚のある児童文学作品かと思います。テレビドラマ化や文庫化もされた読み応えのある物語です。

東京の西部、萩寺町に住む双子の姉妹、アイとミイ。母親は幼い頃に亡くなり、父親は単身で仕事のためドイツに渡っているため、漫画家のソラ叔母さんと一緒に暮らしています。アイは機械工作が得意で、長らく工夫を重ねて、組み立て式の自転車「ねこちゃん」を完成させました。猫をモチーフにした変わった自転車というだけでなく、ハシゴになったり、特別な仕掛けのある逸品です。「ねこちゃん」の試運転のために、アイとミイは真夜中に家を抜け出して、近所にある大きな萩寺公園まで自転車を二人乗りで走らせていました。その時、アイは公園にある小さな動物園で、光が動いていることに目を止めます。自分でもライトをつけ反応をうかがったところ、近くのマンションの窓からも光の応答があります。この不思議な現象にアイは興味を持ち、後日、調査を開始します。果たして、マンションの光は、アイと同じく動物園の光を見て反応したサム(オサム)というひとつ歳上の少年のものだったことがわかります。サムもまた物作りが好きで、コンピュータでゲームを自作しているような子でした。二人は意気投合し、動物園の謎の光の正体を追っていき、やがて動物園の猿山の向こうでケヤキの木に根元を掘っている人物を見かけます。アイは、機械工作の相談相手で廃品回収を生業にしているカメさんから、動物園ができる前、まだ戦後まもない頃に、この公園の場所に復員兵が住み着いていたという話を聞きます。一方、サムは動物園にいた人物の正体そつかみます。ブラジルに移民して35年ぶりに日本に帰ってきた坂口さんという男性でした。かつての親友を探しにきたという坂口さん。しかし荻寺町にいたその親友はすでに亡くなっており、墓碑にその名前が残されていました。坂口さんの謎めいた行動が気になるアイは、過去に隠された因縁を紐解いていきます。冒険好きなアイが、それでもふと大人びて、女の子らしい格好をして、サムの前でミイのフリをしてみたり、アイの思春期的な切ない物思いとミステリアスな展開が並行して進んでいきます。アイとミイとサムの闊達なやり取りが、なんとも軽快で楽しい物語です。

「アイとサムの街」というタイトル通り、彼らの住む荻寺町が物語の中で重要なファクターとなります。東京西部の実在の街をモデルにしていると、あとがきにはあります。なんとなく荻窪か吉祥寺かという感じで、となると、動物園のある公園は井の頭公園かも知れません。荻寺町には「ねずみ横丁」と呼ばれる混み入ったマーケットがありますが、これは戦後の闇市が発展してできたものだとされています。荻窪や吉祥寺もそうしたものがあったそうなので(吉祥寺のハモニカ横丁は健在のはずです)、イメージがつながります。闇市、復員兵など戦後すぐを想起させるキーワードが登場します。物語の時代は1980年代半ばのはずなので、戦後四十年という時点。戦争の記憶もそう遠いものではありません。物語に登場する坂口さんというおじさんも従軍経験があり、復員後、ブラジルに移民したという経歴の持ち主です。実際、戦争を経験した大人たちが中高年であった時代です。アイは謎を探るため、荻寺町の過去の記録を調べ、当時を知る人の話を聞きます。やがて戦争や戦後の混乱した時代の傷あとがこの街やここに暮らした人に残されていることを知り、その時代を生きぬいてきた人たちの心情を思うことになります。迷えるアイは影響を受け、成長を促されます。しっかり者の妹のミイや、優秀な少年であるサム(勉強もできるのですが、あの頃、コンピュータでプログラムを作っている十三歳はなかなか進んでいる子ですね)。彼らと自分を比べて、行動的だけれど内省しがちなアイが、ちょっと思いに沈むあたりも惹かれるところです。街や人が戦争や戦後を経験して、今に至ることを、子どもがまだ直接触れられた時代です。バブル前夜の好況の時代で、やや軽い印象もあるのですが、まだまだ戦争の時代をリアルに感じられる時代ではなかったかと思います。