この川のむこうに君がいる

出 版 社: 理論社 

著     者: 濱野京子

発 行 年: 2018年11月


この川のむこうに君がいる  紹介と感想 >
人からいたわしく思われると、自分を「気の毒」な存在にされてしまい、その同情によって身動きが取れなくなる。できれば人に「可哀想」だなんて思われたくない。梨乃が自分のことを誰も知らない高校に進学したかったのは、その素性を気取られないようにするためでした。東日本大震災の被災者。津波で兄を亡くし、水害で家に住めなくなって埼玉に越してきた可哀想な子。そんな目で見られることが嫌だったのです。中学生になったら吹奏楽部に入りたいという小学六年生の梨乃の希望は、あの3月11日の地震でついえていました。遅ればせですが、高校生になって、梨乃はその夢を叶えます。ところが、吹奏楽部には、福島出身で原発事故の被害で被災したことを自ら表明する同じ一年生の男子、紺野がいたのです。邪気もなく紺野に同情する同級生に梨乃は複雑な感情を抱きます。あの地震から三年後の時間を生きている女子高生の日常を描く物語です。自分も痛みを抱えながら、人の痛みにも向かい合わなければならない。自分はどう立っていれば良いのか。そんなスタンスを容易に見極められるわけもなく、模索し、戸惑いながら生きている梨乃の等身大の感覚が一編の物語になっていきます。『石を抱くエイリアン』に続いて、東日本大震災で被災した子どもたちを描く、濱野京子さんの力強い作品です。

川をひとつ隔てただけで被害の程度が違う。同じ被災者とはいえ、そこには「濃淡」があると梨乃は感じています。自分よりもっと酷い目に遭った人に対して、助かった自分はどう顔を向けたらいいのか。何故、自分が死んだ人の代わりに死ななかったのか。こうした心理に物語の中で出会うことが良くあります。なんの非もない人間が、何故そんな意識を抱いてしまうのか。自分の被害が軽かったからといって、やましさを覚えることは明らかに間違っています。人を慈しむ気持ちは、自分も痛みを覚えた時に涵養されるものですが、自罰的になりがちで、やや途方に暮れてしまいます。一方で、何も実害を受けていない、同情を施すだけの人間に、嫉妬や羨望や、時にはその無神経さへの怒りを持つこともあります。傷ついた人には、傷ついている自分には、どんなまなざしが向けられればいいのか。人間の考え方や感じ方は一様ではなく、この物語の中でも、自分が感じている痛みを、それぞれの方法で克服しようとする高校生たちの姿が描かれます。自分の中に、あの体験を潜めていた梨乃もまた、高校生活や友人たちとの関係の中で、少しずつ気持ちを開放していきます。一足飛びに人間の心は回復するものではありませんが、その緩やかなプロセスを見守り、寄り添うことのできる読書になるものと思います。

「なんらかの事件」によって傷ついた子どもたちが、その心を回復させることが児童文学作品では主題になります。とはいえ、ピンポイントで地域や人が特定されてしまう「事件」の場合、物語として語るには、配慮の加減が大変、難しいものだと思います。ただ触れることでさえも、まだ癒えない生々しい傷口を抉るものにもなり得る。ならば沈黙を守ることが当面の適切な態度だろうと考えてしまうのです。あの震災を描く物語の登場を、ひこ田中さんが『ふしぎなふしぎな子どもの物語』(2011年刊行)の中で予見されていましたが、そのムーブは、その端緒についたばかりかも知れません。物語として語られることの効用は少なからずあります。物語になることによって、「事件」の当事者の想いを、読者はより身近に受けとめることができます。未知の世界への想像力を広げることもできるし、時に、その共感は、主人公と近い体験をした人間を励ます力にもなるはずです。僕は、人は児童文学によって「赦される」ことがあると思っています。「事件」に遭遇したことに罪悪感を抱くなんてこと自体がおかしいとは思いますが、そうした後ろめたさを人間はもってしまいがちです。運命を呪っても、自分を呪うべきではない。物語が救いになるほどの大きな力を持ちうるかどうかはわかりません。しかし、心の隘路に入り込んだ時、物語が生き抜くためのヒントを与えてくれることはあるのだと思います。その可能性のために「事件」が語られても良いのではないかと思っています。東日本大震災からリアルタイムで六年が経過しました。まだ高学年以上に向けたフィクションでの題材となることは少ないのですが、児童文学の勇気ある試みがこうして始まっていることを称賛すべきかと思っています。ちなみに、あの3月11日、東京にいた僕は、前日に受けた手術が上手くいかず危篤状態に陥っていた父に会うため、病院に向かう途中で震災に遭いました。父はその翌日に亡くなったのですが、都市機能が一部マヒしていた状況で、葬式の手配や何やらと手こずった記憶があります。とはいえ、あの時の被災地の皆さんの苦労や悲しみに比べれば、大したことではない、と言ってしまうのです。でも、自分だって、本当は、あの時、すごく辛くて、大変だったんだよ。時には、そうこぼしてもいいのかなと、考えたりしています。