永遠に生きるために

Ways to live forever.

出 版 社: 偕成社

著     者: サリー・ニコルズ

翻 訳 者: 野の水生

発 行 年: 2009年02月


永遠に生きるために  紹介と感想 >
どうも前向きなことが書けなくて、この本の感想は一行目から停滞中です。そもそも、白血病で、もはや進行を遅らせるしか術がなく、積極的な治療を断念している、長くて余命一年の十一歳の少年の物語を前にして、何を明るく希望を語れるのかというところです。まだ何も経験しておらず、世の中にも、自分自身にも失望していない少年にとって、この残り時間の少なさを受け入れることは苛酷なものだと思えます。諦念、そして時折、溢れ出てしまう気持ち。死を抱えながら生きているのは、人間誰しも同じなのだけれど、死の切っ先を、目の前に突きつけられてしまったら、どうしたらいいのか。『きみがこれを読むころ、ぼくはたぶん、この世にいない』。そのノートには少年が考えたことが書き残されています。沢山の「ほんとう」のことと死に対する率直な疑問。死を鼻先に感じながら、少年が思ったこととは何か。だれにも答えてもらえない、少年の問いかけを前にして、ただ考え込んでしまう、そんな読後感です。かなり、参ります。

十一歳のサムの病気は、血液のガン、白血病。六歳の時の発症以来、二度目の再発となる今度は、これ以上の抗がん剤治療もできず、有効な治療方法もないまま、残り時間を数えるのみとなっています。長くて一年、という猶予時間。いつかくるべき時がくることをわかっていながら、サムは生きています。家庭教師の先生から、自分のことを書いて見ないかと勧められたサムは、色々なことを書き留めはじめます。「死」とはなにか、「ほんとう」のこととはなにか、それをつきとめようとするサムの文章は、それでもどこかコミカルで、悲壮感はありません。同じく闘病中の二つ年上の友人、フェリックスと軽口を言い交わしながら、「死ぬ前にやりたいこと」をやってみたりするのですが、エスカレーターを逆走するなど、どこか他愛もない感じもします。どこにも逃げ場所がないまま、時間が過ぎていく。やがてフェリックスが亡くなり、サムの病状も進行していき、来るべき時がきます・・・。

なくなった後に残されるものって何だろう、と思います。死んだらすべてが無に返ってしまうのか。サムは臨死体験や、霊魂の実証実験などについて調べつづけます。しかし、確証は得られない。コンピューターに記憶を残したり、未来の医療に希望を託して冷凍冬眠する、なんてことを夢想してみたりもする。無論、そんなことは実現されないままに、死の瞬間を迎えてしまうものです。当事者にとっての死は、それで、本当にオシマイなのかも知れない(そうじゃないかも知れない)。では、ひとつの死によって、すべてが消えてしまうのか。この作品はサムの主観で語られていますが、彼の両親や家族の心情こそが、くっきりと言外に浮かび上がっていきます。それは愛するサムを失いつつある進行形の苦痛です。でも、ウェットなだけでは日々を過ごしていくことはできず、それでも人間はユーモアを口にしながら生きていきます。大きな悲しみを前にした極限の中で、互いに支え合う愛情が存在したのだという記録。一人の死はひとつの終わりだけれど、交わされた愛情の記憶は残り、その事実はけっして消えない。きっとそれは未来につながっていく。消えてしまった命もまた、生かされ続ける。人間の魂の永続性とはそういうことだ、という解釈は、これもまた方便ですが、ひとつの希望です。その希望を灯し続ける意志、なのかな。永遠に生きるための方法とはなにか。サムが空想する方法よりも確実な答えを、僕たちはひそかに思い続けるべきかも知れません。

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