出 版 社: 小学館 著 者: エリザベス・アセヴェド 翻 訳 者: 田中亜希子 発 行 年: 2021年01月 |
< 詩人になりたいわたしX 紹介と感想>
「詩は書けない。感じたまましゃべる。」そんな歌い出しで、ありのままの自分を伝えようとする唄もありましたが、詩を書くことで自分の心情を伝えようとする人もいます。詩を書けることは、天賦のギフトであって、言葉の枝葉だけではなく、幹である自分の内なるものを表現する衝動だろうと思うのです。自分も何度か詩を書いてみようと試みたことがありますが、まったく言葉が出てこなくて閉口しました。以前にちょっと創作をやってみたことがあるのですが、不思議なもので物語の登場人物が詩を書いているという設定にすると、詩を書けるのです(いや、詩のような見かけの何かです)。つまりは、素の自分が詩を書くという行為が難しいのだと思い知りました。それぐらい詩というものは、心のうちをあからさまにしてしまうものだと思うのです。つまりは、詩を書く自分、という存在が照れ臭くて耐えられないのかも知れません。ある著名な詩人が、今までに一度として自分の内なる衝動で詩を書いたことがないと言われていて驚いたことがあります。すべて依頼を受けて書いたものだという、その言葉に戸惑うのは、やはり詩というものへの幻想や憧れがあるからかとも思います。いや、そう嘯くポーズこそが詩人というものかと勘ぐってしまうのも、詩人であることのサムシングかも知れません。この物語にはノートに詩を書くことで、心にわだかまる思いを解放する女の子が登場します。詩で気持ちを表現することも、詩人である自分を表明することも、なかなかハードルの高いことです。それでも詩を作り、表現することをテコにして、自分の世界を広げていく、悩める普通の女の子たちへの大いなる励ましに満ちた物語です。
ニューヨークのハーレムに暮らすシオマラは十五歳の女の子。両親ともにドミニカ人で、シオマラは移民の二世として、この国で育ちました。マミ(母親)は厳格なキリスト教徒であり、シオマラを教会の学びのクラスに通わせ、堅信の儀式を受けさせたいと考えています。両親が望むような従順で信心深い大人しい女の子ではないことは、シオマラ自身が良くわかっていることでした。シオマラがツインと呼ぶ、双子の兄のエグゼイヴィアは飛び級をするほどの天才児ではあるけれど、ひ弱なタイプで、彼がいじめられるのを拳で守ってきたのもシオマラです。身体の発達が良くグラマラスであるために、男たちに声をかけられたり、ちょっかいを出されがちな自分を守れる力もシオマラには必要でした。男の子に興味だってあるし、自由に行動したい。それなのにマミからは、厳しくしめつけられているばかり。兄のように優秀でもなく、両親の期待にも応えられない自分に煩悶しながら、もっと自分を表現したい気持ちを抑えられないシオマラの心は躍動し続けています。そんな気持ちを、シオマラはツインから贈られた革装のノートに詩として綴っていきます。両親やツインへの複雑な想い。そして、好きになった男の子であるアマーンへの思いが、豊かな表現でノートに綴られていきます。そんな折、シオマラは英語のガリアーノ先生が顧問をしているスポークンワードポエトリー部の存在を知ります。詩を書いて、覚えて、自分の体や声で表現する。その活動に強く興味を惹かれながらも、微妙に距離を取り間合いを保っているのは、そんな活動が許されない家庭の事情と、素直になれない心の事情があるからです。思春期の弾ける多感さが豊かな言葉で繋ぎ止められていきます。シオマラの頭文字であるXは、詩人としての彼女の名前です。誇るべき自分を表現するために、詩人Xは、詩の競技会、スラムの舞台に立とうと意志を固めていきます。自分を守り、鼓舞するために、言葉を鎧や武器に替えて闘う。詩人であろうとするシオマラの決意に強く動かされます。
愛されているという自覚を、人はなかなか持ち得ないものです。聖書から学べる愛もありますが、現代のティーンが実感として受け入れられるものでもないでしょう。シオマラの母親であるマミは「尻軽」の対極にいる人であり、娘がそうならないことに全力を注いでいます。ハーレムはそう風紀の良いところでもなく、シオマラの通う普通の学校もまた、ツインの通う優秀な生徒の集まる高校とは違います。事情は良くわかりませんが、マミはアメリカに来るために、「尻軽」な遊び人であったパピと結婚しました。敬虔な信徒として生きたかったマミにも複雑な心の事情があります。言葉も不十分にしか通じない移民一世として、ここでの暮らしの中で苦労しながらも、厳格に子どもたちを育てることが、彼女なりの愛情の注ぎ方であり、矜持なのです。その気持ちを子どもたちはどう受け止めたらいいのか。優秀なツインもまた自分がゲイであるということが、母親を傷つけることをわかっています。それでも自分に素直に生きたいというのは同じでしょう。それぞれの愛情が行き違い、思い通りにはいかないのが家族の常です。諦めて、適当に調子を合わせることをせず、シオマラは真摯にぶつかります。彼女の胸中を語る詩が書き綴られるノートこそがこの物語です。終盤、うっかりシオマラが置き忘れたノートを、マミに見られた際の修羅場といったら、なんともゾッとするところなのですが、その先にある家族の光景にもまた瞠目して欲しいところです。詩人Xが立つステージに注がれる愛のある視線。シオマラもまた溢れる気持ちを言葉にして解き放っていきます。そんな眩しい空間が目の前に現れる物語。2021年の、やまねこ賞第一位にも選ばれた秀逸な作品です。