空から見える、あの子の心

THINGS SEEN FROM ABOVE.

出 版 社: 童心社

著     者: シェリー・ピアソル

翻 訳 者: 久保陽子

発 行 年: 2021年12月

空から見える、あの子の心 紹介と感想>

オーロラの発光するスペクトラムは映像に正確に残すことができないと聞いたことがあります。つまり本物のオーロラの色彩を見たければ、肉眼で見るしかないということなのですが、気安く行ける場所ではないので、自分は生涯、オーロラの本当の色彩を知ることはないのかもしれません。このたとえを最初に持ってきたのは、この物語を考える上で、象徴性や類似点が非常にあると思ったからです。映像には捉えられなかった光景が、この物語の終わりに広がっています。人の記憶には鮮烈に刻まれたけれど、記録には残されなかった光景。また撮影機器では映しとれない光の波長があるように、人の心のスペクトラムも捉えようがないものです。そこにはどこか共通する真理があるような気がします。白か黒か、赤か青か。はっきりした線や原色では描けないものだからこそ、印象を与えるものもある。この物語には自閉スペクトラム症ではないかと思われる少年が登場します。アスペルガー症候群という診断名が使われなくなってしばらく経つのですが、物語にもちゃんと新しい捉え方や感覚のアップデートが意識されていることを感じます。限定された診断名に閉じ込められない、広域な心の世界がそこに拡がっています。児童文学では、ディスレクシアを始めとして、広汎な発達障がいを負った子どもたちが様々な描かれ方をしているのですが、本書もまた新しいアプローチを見せてくれます。人の心の実相は、一つの色や線では語れないものです。型にはめて理解しようとするのではなく、思い込みを捨てて感じとること。それは特別な子に対しても、そうではない子に対しても共通する真理だということを物語は教えてくれます。

六年生の女の子、エイプリルが、友だちベンチ係に立候補したのは、友だちと距離を置きたかったからです。ランチタイムを友だちと過ごすことが苦痛になってしまったのは、友だちの話題についていけないから。お洒落や恋愛に夢中になっている子たちに引いてしまい、どう関わって良いのかわからなくなったのです。友だちベンチ係は、遊び相手がいなくて一人になってしまった子がベンチにやってきたら、一緒に遊ぶのが仕事です。学校新聞のアドバイスコーナーの担当もしているエイプリルは、もっと自分を親しみやすい子だと思って欲しいと考えていました。やはりエイプリルは、普通のタイプではない、ちょっと変わっている子なのです。そんなエイプリルが気にかかっていて目が離せないのが、四年生のジョーイ・バードの存在です。いつも校庭の真ん中に寝そべって、じーっとしているジョーイ。やっていることがいつも変なジョーイは、おそらく自閉スペクトラム症候群ではないのかとエイプリルは考えます。探究心の強いエイプリルはジョーイから目が離せません。先生や彼の同学年の子たちにも聞き込みを始めるほどです。やがてエイプリルは、ジョーイが校庭で足をひきずって、線をひいていることに気づきます。その線が集まり巨大なひとつの絵を校庭に浮かび上がらせていることをエイプリルが知るのは、体育館の屋上に登って校庭を見下ろした時でした。ジョーイが素晴らしいアーティストであることを知ったエイプリルは、この事実をどうすべきか考えます。はみだし者のように思われているジョーイに、皆んなが敬意をもってもらいたい。そうエイプリルが考えるのは、自分自身もまた、はみだし者だからかも知れません。エイプリルはジョーイの隠された才能が明らかになった時に及ぼす反響を考えて躊躇します。しかし、つい口を滑らてしまったたことが、大きなムーブを学校に起こすことになるのです。一躍、学校のスターになっていくジョーイ。テレビにもとりあげられ、もてはやされる彼のもとには、こんな絵を描いて欲しいとリクエストも寄せられるようになります。彼が期待は大きくなり、ただ描きたいものを描いていたいジョーイの気持ちと相容れない要請も膨れ上がっていきます。この成り行きを見守るエイプリルは、ジョーイを宥めすかし、なんとか橋渡しをしていきます。破綻の危うい予感を孕んだ物語は、より大きな舞台へとジョーイを運んでいきます。やがて記録に残されないまま、人々の記憶に残る伝説が刻まれる。物語はタイトルの通り、エイプリルの視点から慮られたジョーイの胸中と、そこから広がっていく彼女の新しい世界が描かれていきます。

特別であるということはギフトですが、困難を伴うものでもあります。その特別さが人を驚嘆させる才能であり、好意的に迎えられる幸運もあるやも知れませんが、人から疎まれる欠点となることもあります。これもまた人からの見え方だけの話であって、本人の固有の価値は変わらないものでしょう。スポットの当て方で見えるものは違ってくるし、ほとんどのことは与えられ方よりも、受け取り方の問題です。逆にどんな才能であっても、無視され、冷笑されることもあります。自分が不遇で人に理解されないと思い始めると、自分もまた頑なに人を認められなくなります。偉大な才能を持ちながらも人とはコミュニケーションできないジョーイの心に、エイプリルは近づこうとします。人から理解されない子であることを、エイプリルは自分自身について暗黙のうちに思っていますが、ジョーイとの関わりによって、その迷妄がほどけていくあたり見事な展開となっています。まずは自分の固有の価値を信じて、人の美点を感じ取れる気持ちを持ちたいものですね。用務員(という表現も今は微妙で学校技術員というべきなのか)のユリシーズさんという老齢の人物が魅力的です。ジョーイをはじめとした子どもたちへの目配せやサポートは、深い人物像を思わせます。ユリシーズさん、エイプリル、ジョーイの関係に『ジュニア・ブラウンの惑星』を意識させられたのですが、ああした恐ろしい雰囲気はありません。ただ、ここに共通する友愛のスピリットはやはり貴いですね。