いつもそばにいるから

The graduation of Jake Moon.

出 版 社: 求龍堂 

著     者: バーバラ・パーク

翻 訳 者: ないとうふみこ

発 行 年: 2005年10月


いつもそばにいるから 紹介と感想>
学校からの帰り道、友人たちがゴミ箱の底を覗きこんでいる老人を見つけて、からかう寸景からこの物語は始まります。友人たちと一緒に歩いていたジェイク・ムーンは、罵声を浴びせる友人たちの隣りで言葉を失ったまま立ちつくしていました。なぜなら、その老人は、ジャイクおじいちゃんだったからです。アルツハイマーに侵される前までのおじいちゃんは、ジェイクを励まし、その人生に、明るい光を与え、教え導いてくれた人でした。それがやがて、病気の第二段階に入り、自分が誰か、また家族の顔もわからなくなってしまったのです。満足に食事もできず、トイレにもいけず、奇行に走り、ふらふらとどこかに行ってしまう。ジェイクは、どんどんひどくなるおじいちゃんの病状をつぶさに見ながら、しかたなく介護を手伝います。回復の見込みのない病状。おじいちゃんの奇行はひどくなり、一晩中、行方を探し回らなければならないこともありました。ジェイクは、どうにもならないことに腹をたてながら、それでも、おじいちゃんと一緒に暮らしていきます。

ジェイクは、ときにイライラして、おじいちゃんを突き放したり、友人たちに知られたくなくて、目の前にいるのに他人のフリをしたりもしました。そして、そんな自分自身に、恥ずかしくなってしいます。本当は、おじいちゃんが、何も知らない人たちに責められたり、傷つけられることが、何よりもイヤなのです。おじいちゃんに悲しい思いをさせたくないのです。でも、ジェイクは、ごく普通の子どもで、すべてをわりきって、それでも「微笑みを絶やさず」に、おじいちゃんの相手をし続けることに、時として我慢できなくなることもあります。ジェイクの介護は6年間続きました。何度かの危機を乗り越え、徘徊するおじいちゃんの生命の危機を感じて、胸が張り裂けそうになるような思いもしました。幾多の試練を乗り越え、ついに今日、中学校の卒業式に、おじいちゃんを招待したジェイク。卒業証書を受け取り、にっこりとおじいちゃんを見つめるジェイク。おじいちゃんには、何も見えていないかもしれない、わかっていないのかも知れないけれど、ジェイクの耳には、かつておじいちゃんが励ましてくれた言葉が響くのです。・・・『おまえは、ほんとうにたいしたやつだ、ジェイク・ムーン』。

回復の見込みのない病気の人に、何を与えてあげられるのだろうと思います。正気でなくなった人に、言葉の贈り物は通用しません。相手に認知してもらえないかも知れない愛。一方通行になってしまうかも知れない愛。ずっと離れずに、一緒にいるよ。寄り添っていてあげることが、唯一できることかも知れません。家族の介護に自分の貴重な若い時間をとられてしまう。その犠牲は、とても大きいものです。エレナ・ポーターの『スウ姉さん』のように、ようやく家族から手を離せた時には、自分の輝ける時間がもう取り返せないことに気づく場合もあります。色々な運命を享受しなければならないことを、子ども心が納得するには、やはり、時間がかかります。それでも、ジェイクが、おじいちゃんを深く愛し、ずっと一緒にいつづけたこと。おじいちゃんが無事に生きていてくれたことに感謝の気持ちをいだいて、かつて自分をはぐくんでもらった大きな愛情に応えるように、ずっと、そばにいることができたことは、胸を熱くさせます。健常な家族でも、疎ましくなってしまうことはあると思います。イライラしたり、動揺することも、時として、腹を立てることも、あるかと思います。それでも、大切な思いを抱ける人と、一緒にいる、ことが、言葉を越えて、何かを伝えてくれる。せめて、つないだ、この手のぬくもりが感じあえるのなら・・・。諦念ではなく、前向きな愛情をもって、一緒に生きていこう、と、かつて、おじいちゃんを「恥ずかしい」と思っていた日から、ジェイク少年の心が成長していった姿に打たれます。認知できない状態のまま、回復の見込みがないことが、愛情を終わらせることではないのです。一緒にいられる時間、いつもそばにいることで大きな愛を伝えることができる。それは、希望、かも知れません。切なくも、暖かさを与えてくれる物語です。

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