きみと真夜中をぬけて

出 版 社: スターツ出版

著     者:

発 行 年: 2022年12月

きみと真夜中をぬけて  紹介と感想>

避けられる面倒な人間関係は避けても良いものです。自分をすり減らしてまで、周囲と協調する必要はないはずです。つきあわない勇気を発揮すべき時もあります。とはいえ、それを突き詰めていくと、誰とも関わらなくなってしまうリスクがあります。学校や職場で、人との関係性が厳しいものになったとき、そこに関わらないために、ひきこもる、という選択肢がありますが、それによって失われるものも沢山あります。閉塞状況を自ら作ってしまうことになるからです。となると、求められてしまうのが、克己心です。弱い自分、逃げる自分に打ち勝って、一歩、外に出る。とはいえ、そんなことを勧める説教くさい物語は、現代(2023年)では、いかがなものか、と思われるのが潮流でしょう。さて、不登校やひきこもりの状況に甘んじていられるのなら良いですが、そこにもストレスを感じ始めたなら、急上昇ではなく、ソフトフライングが求められるものとなるでしょう。本書は、不登校を続けていた高校三年生の女子が、再び、登校を始めるまでの軌跡を描いた物語です。それには、彼女を支えてくれる人たちの存在がありました。人間不信のために不登校になった主人公が、人との関係を結んでいくのは、それなりにハードルが高いことです。物語は主人公が再び外の世界に戻ることを促しますが、無理をさせずに、前に進むやり方であるあたりが現実的です。そこにも周囲の人たちの配慮があります。総じて人の好意や善意が心地良い物語です。そして、自分に克つことよりも、自分を肯定することに重きを置くあたりも現代的です。児童文学やYA作品とは出自の違う作品ですが、スピリットには共通するものがあり、その本質について考えさせられます。登場人物たちの軽妙なやりとりも魅力的です。「きみの物語が、誰かを変える。小説大賞」受賞作。誰かに一歩踏み出す勇気を与えてくれる物語です。ここで想定される、誰かとは、誰なのでしょうか。

名生蘭(みようらん)が不登校になったのは、高校の同級生のグループでの仲違いが原因でした。高校二年生になって間もない頃、蘭は同じバイト先で隣のクラスの男子と親しくしていると責められることになります。彼は同じグループのマイが好きな人だったのに、抜け駆けしたと言われたのです。蘭にはそんな気もなかったのに、一方的に軽蔑され、嫌悪され、無視される。学校自体が嫌いになった蘭は不登校になり、それから一年と二ヶ月が経過していました。ただ本を読み、感想を書き留めるだけの毎日。息抜きは、深夜に家から五分の場所にある公園で過ごすことでした。そんな毎日に変化が起きたのは、夜の公園で声をかけてくる少年が現れたことです。ただ蘭と話をしたいという、この日之出綺(ひのであや)という少年とたわいもない会話をしながら、蘭は夜の時間を過ごすようになります。気持ちを察するのが得意で、蘭が欲しい言葉をくれる「菩薩」のような、だけの友だちに蘭は次第に打ち解け、悩みを打ち明けるようになっていきます。ところが、ある日を境に、綺が公園に現れなくなります。連絡先を知らない蘭は困惑し、なんとか綺を探せないかと考えます。蘭は親しくなったコンビニ店員、真夜中さんに、いつも缶コーラを買う「菩薩」のような少年を見つけてもらえないかと依頼します。この真夜中さんもまた、ちょっと変わった男子大学生で、年長者として蘭にアドバイスをするわけでもなく、ただゆるい会話をしながら、蘭の気持ちを解きほぐしてくれる人でした。蘭は再び綺と再会することができるのか。やがて蘭は、親しかった友だちや、綺が胸に抱えていたものを知り、長い夜をこえて、少しずつ昼の時間へと戻っていくことができます。蘭がゆっくりと再スタートを始める展開と、どこかで誰かが誰かのことを想い、その幸福を願っている、この世界の連環が呼応する、愛おしい物語です。

深夜の公園で見知らぬ若い男女が出会い、親しく会話を交わすようになる。そんなシチュエーションはやはり物語的で(現実にはリスクの方が大きいように思えますが)、素敵な出会いを期待させるロマンに留めておきたいところです。近年の児童文学作品では『with you』が思い出されます。その出会いから、どう物語が展開するかが同工異曲の読みどころです。夜中に公園で一人で寂しげに佇んでいる少女が気にかからない男子はいないと思いますが、厄介そうなので近寄らない、というのが無難な選択でしょう。案の定、少女は訳アリであり、それを受け止めるには相当な覚悟がいるものです。本書で蘭に公園で声をかけた綺には、あらかじめその覚悟がありました。その理由は後に明らかになります。軽い調子で振る舞いながら、その実、意を決していたあたり、結果的には、蘭にとって幸運な出会いだったと思います。綺は蘭の話を聞いて、反論もアドバイスもせず、緩やかに蘭を肯定します。ここがポイントです。蘭の母親も、不登校の娘を責めることなく、容認し、励まし続けます。コンビニ店員の真夜中さんも蘭に好意的です。この布陣が心強いのです。非常に重いことだなと自分が思うのは、蘭が不登校になった理由が、わりと軽いことだからです。高校生が、友だちとの関係がちょっと上手くいかなくなって不登校になる。このナイーヴさをヤワすぎると思う大人もいるだろうと考えます。ただ、人はそんなことで引きこもって、大事な青春の時間を無為に過ごしてしまうこともあるのです。人が聞いて、なかなか納得するだけの理由ではないとしても、当人にとっては深刻です。ここで誰かが説教めいたことを言って、克己心を促すのではなく、この蘭の立場を好意的に受け止めて、肯定してくれる人たちがいてくれたことが、結果的に蘭に再スタートを促します。蘭自身もまた自己肯定することを自分の支えとして、この不毛な時間を乗り切ろうとしていました。このあたり、ネガティブに押し潰され焦燥する不登校モノと一線を画しています。不登校の原因となった同級生たちと正面対決して和解するようなことはなく、一切、関わらなくて良いというスタンスも潔いところです。つまるところ、人は自分にとって心地良い人と付き合えば良いし、そんな人と出会える希望もまたあるのだという光明がここに差しています。周囲の優しさを重荷と思わず、そこに甘えてもいいのです。ごく些細なことで人はつまづくことがあります。それが些細であるがゆえの苦しみもあります。現代のティーンの心情に寄り添う物語として、考えさせられる作品です。