出 版 社: 岩崎書店 著 者: 来栖良夫 発 行 年: 1968年01月 |
< くろ助 紹介と感想>
くろ助、ことカルサン弥助は、ポルトガル船にさらわれて、アフリカから日本へと連れてこられた黒人男性です。日本はこの頃、戦国時代。天下統一を目指す織田信長は、南蛮バテレンの僧侶たちから献上された弥助の珍しい肌の色に驚き、家来に取り立て、いずれは城持ちの大名にしようとさえ思っていました。日本語をマスターしている弥助は、馬まわりとして常に信長の側に仕えてきましたが、ここ本能寺で起きた大事件によって、その主従の絆は断ち切られます。二条城に逃げ落ち、信長の仇を取るために明智光秀の軍と戦うものの捕らわれの身となった弥助は、何故か光秀から不問に付され解放されます。遠くアフリカから日本に連れてこられ、織田信長という稀代の武将に仕えた弥助。信長に殉じようと戦いの地に赴く仲間の老武士に向けるまなざしや、故郷を懐かしみその胸に去来する思いなど、数奇な運命に翻弄され、異邦の地に生きた男の境涯が胸を打つ物語です。
弥助は歴史上の実在の人物ですが、近年、よくスポットが当てられるようになり、色々な物語にも登場するようになってきました。ハリウッドで主人公として映画化されるという噂も聞いています。その出自からして、キャラクターとして立っていることもありますが、まだイメージが固まっておらず自由に造形できるところも創作者にとっての魅力かも知れません。たとえばコミックの『へうげもの』では無骨で無表情な恐ろしげな大男、という印象でしたが、この物語では、歌や踊りも得意で、愛嬌を振りまくわりとコミカルなところもあり、仲間の侍たちとも非常にフレンドリーに接しています。実際、それは人にきらわれないことが自分が生きのびるために必要だと考えている弥助の処世術でもあったのです。それもまた彼がここに至るまで経てきた人生経験が学ばせたことだと、納得するところです。周囲の人々が弥助の心情を慮る視線もクロスして、その内面に思いを馳せてしまうのです。日本人にはない体躯と強靭な体力を持った超人的キャラクターとして描かれる一方で、異邦人としての処世術を身につけていた如才なさなどにも着目できるのは興味深いところですね。今年(2020年)の大河ドラマは明智光秀が主人公ですが、果たして弥助は登場するのか。光秀が捕らえた弥助を解放した理由が謎で、弥助への厚意とも侮蔑とも取ることができるのですが、そこに想像の余地があり、物語として魅せてくれるものがあるかと思います。この頃の児童文学作品は函入りが多いのですが、このイカした弥助の姿は函の装画です(本の表紙は燃え盛る本能寺)。見返しに馬を走らせる信長について走る弥助が描かれたカラーイラストが載っているのですが、ここに寄せられた文章が良いので抜粋します。『とつぜん馬を走らせる信長公のそばには、いつもくろ助がいた。「はぁい、上さま、弥助め、ここにひかえております」「おお、くろん防か。よくぞつづいたり」信長公は、たちまち御きげんになるのであった。』。ね、なんかいいでしょう。そんな感じの弥助と信長の関係性なのです。
さて、この本は中編集で、もう一作品、収録されています。明治時代のはじめに起きた事件を、この本のリアルタイム(1968年)の子どもたちが調べる『鉄砲金さわぎ』という物語です。これが非常に問題作です。明治の始めとはいえ、まだ百年前なので、足跡をたどれないこともない時間域にあるというところがポイントです。その頃に生まれた老人も存命なのです。これは、非常に気まずい事件です。郷土研究で地域の昔話を調べていた子どもたち。金のスズキ伝説という、とどろきの滝の昔話を調べるうちに、金のウナギ伝説という「たたり」のお話に行きつきます。ところが更に深掘りしていくうちに、ウナギ伝説は滝に人を越させないようにした意図を持ったもので、その裏には国の土地に滝から水を引き秘密裏に作られた隠し田の存在が明らかになります。またその田んぼを作ったのは山に住み村人から差別されていた人々で、さらに鉄砲金と呼ばれた被差別青年が村人に侮蔑されて放った銃撃が引き起こした事件が明らかになります。郷土に起きた過去の気まずい悲劇の概要に、子どもたちは次第に手に負えないものを感じながらも、鉄砲金の哀しみに同情するのです。後年に描かれた福田隆浩さんの『夏の記者』にも通じる、真実にたどりつくことで開けてはいけない扉を開けてしまう調べ学習の暗黒面を描いた凄い作品です。この本、1968年の課題図書なのですが、どちらの作品を主眼として選ばれたのかと考えています。どちらも感想文が書きにくいなあ。