ここではない、どこか遠くへ

出 版 社: 小峰書店

著     者: 本田有明

発 行 年: 2021年07月

ここではない、どこか遠くへ  紹介と感想>

「ここではない、どこか」的スピリットの対極にあるのが「置かれた場所で咲きなさい」的スピリットですが、やはり「どこかではない、ここ」にネズミの嫁入り的回帰を果たすのが、物語の常套だと思っています。巡り巡って、自分が今いる場所や周囲の人たちとの関係性を再認識する。そのためには「旅」という、一回、外の世界を知るプロセスが必要なのかも知れません。本書は、今時、こうくるのかと思わせる直球のタイトルが冠されています。閉塞感に苛まれた子どもたちが人生の突破口を探す、ほどの深刻さではなく、ちょっとどこかに行ってみたい、というぐらいの気軽な夏の旅が描かれます。それでもここで、それぞれに訳ありの子どもたちに自分を見つめ直す契機が生まれます。子どもたちは、この旅から何を感じとっていくのか。そして、自分が今、仲間たちに恵まれている現在地を思い出すはずです。余白のうちに何かを悟らせるのでなく、きっちりと書き込まれていく展開に、読者は、この「子どもだけの旅」がもたらすものを受け止めていくでしょう。個人的にはこのわかりやすさが難点で、家庭に問題がある子どもの複雑な心層が描かれ過ぎるし、逆にアンビバレントな交錯した感情は描かれないことが気になりました。自分が十代の頃は、家庭の複雑な問題を友だちと共有するなんて、考えられることではなかったのです。かといって、自分の胸だけに秘めていてもオーバーフローしがちで、まあ、バランスが取れていない時間を過ごしました。あの頃の迷走感覚こそが、自分が今も児童文学作品に惹きつけられる誘因なので、本書のような展開には、ちょっと面食らうところもありますが、この作品の「正しさ」にもまた味わうべき点があります。

曇りがちで爽快感のない「裏日本」から、太陽のふりそそぐ「表日本」へ旅に出る。小学六年生の四人組は、夏休みに自分たちだけで、小学校時代の最高の思い出づくりに、遠出をしようと計画していました。猪口、美馬、熊野、犬養と、それぞれ苗字に動物が入った四人は自分たちをアニマルズと呼んでいます。四人の共通点はそれだけではなく、それぞれ両親が離婚していたり、死別していたりと、家庭環境に恵まれていないことも、彼らの結束を強めていました。お金を出し合い、鉄道に詳しいグッチこと猪口少年が旅程表を作り、ついにスタートした夏の旅。彼らが住む北陸地方から、向かうは、東京、千葉の御宿、仙台、松島、富士山を見て、名古屋へと、四人の思い入れのある場所をめぐる、なかなかのボリュームの旅程です。ちょっと大人びた外見の、ピーマンこと美馬少年を引率者に見立てて、まずは東京見物からスタート。次に足を伸ばした千葉県の御宿の海で四人はヘレンさんと名乗る三十代の女性と知り合います。ヘレンさんは四人の話を聞き、富士山に登るなら大人が一緒に行かなければならないと引率してくれることにもなります。御殿場駅でヘレンさんと再会することを約束して、四人は仙台、松島をめぐります。テントでの野宿も経験し、ついに富士山へ。旅の途中、子どもたちは、それぞれ心に兆すものがあります。複雑な家庭の事情を抱えている彼らは、迷いや不安、後悔に苛まれています。楽しく、はしゃぎながらも、ただの物見遊山ではない、ここではない、どこか遠くで、自分の大切なものに出合い、心に刻む旅なのだと四人は確信していきます。

千葉の御宿に行きたいと思っていたのは、ワンコこと犬養さくら子です。母親がいつも歌っている『月の砂漠』のモデルとなった場所を見てみたい。母子家庭のワンコは、この歌を唄う寂しげな母親の気持ちを計りかねていました。未婚の母で母子家庭。自分の未来を考えながら、ワンコ自身もまた自分が女子という性別であることに違和感を覚えていたのです。髪を短く刈り、男の子のようにふるまうワンコを、アニマルズの仲間たちは、なんの偏見もなく受けとめて支えています。四人はそれぞれ傷ついた子どもです。ピーマンは両親と妹を車の事故に巻き込まれて亡くしています。プーこと熊野少年は、父親のD Vから逃れて母親とともに、母の実家に身を寄せていました。裕福な家庭の子であるグッチも両親の不和に心を痛めています。ここに絆が生まれ、互いに支えあえることは美しい関係性であり理想的なものです。子ども時代の喪失感や失意について、昔に比べれば、メンタルケアが進んできた時世ですが、おおよそ未解決なまま大人になるのが実際でしょう。それぞれ傷ついた子ども同士が、寄り添い、支え合えることは本当に素晴らしいことです。とはいえ、ラッキーな出会いは、なかなかないのが現実です。今、傷ついている子どもたちに可能性や希望を見失って欲しくないと思う反面、上手く行きすぎる展開はやや考えてしまうのです。傷ついた気持ちは、そうそう癒されるものではないし、理解者も現れない、というのは絶望的観測すぎますが、そこからの人生です。「子どもだけの旅」の終わりが、友情の終わりであり、また新しい始まりであるという物語も思い出されます。誰もが心安く生きられる希望はあれかし、なのですが、一方で児童文学はどう描かれるべきかという命題もここにあるかと思っています。