出 版 社: 岩崎書店 著 者: 市川朔久子 発 行 年: 2019年06月 |
< しずかな魔女 紹介と感想>
大学生の時、担当教授から「君は会社員に向いていない」と言われて、これは自分の自由なスピリットを評価してもらったのかと少なからず嬉しかったのですが、長年、会社員をやってきて思うのは、やはり自分は会社員は向いていない、という適性のなさです。今にして、教授の慧眼を思い知っていますが、そもそも褒めてもらったわけでもなかったのですよ。それでも、自分の本質を見ていてくれた人がいたのはありがたかったなと思うのです。 さて、「モデルに向いている」とか「芸術家に向いている」というのは嬉しいかも知れないけれど、「魔女に向いてる」と言われるのは、どう受け止めたらいいのか。子どもの頃に与えられた一言が大きな意味を持つことがあります。きっと、どこかで自分を見ていてくれる人がいるということだけでも人は励まされるものだと思うのです。この物語は「魔女に向いてる」という一言で、止まっていた時計を先に進めることになった女の子が登場します。向いている、というのはその人の未来を見据えたアドバイスです。ささやかな励ましが誰かの世界を変えていく。そんな可能性を信じたいものです。
中学生になって、いつの間にか不登校になった草子。大人しく繊細な彼女には学校が嫌になる特別な理由があるわけでもなく、ただ学校に通えなくなっていました。両親は理解を示してくれるものの、家では所在がなく、ひがな一日を公共図書館で過ごす毎日。とはいえ、ここでも、何もしていない自分に草子は押しつぶされそうになっていました。読み進めていた物語の続きの巻の所在を尋ねたことで、草子は司書の女性、深津さんと関わることになります。静謐な佇まいの彼女は草子に敬語を使い、一線を引いた態度で接しますが、ある日、ふいに草子に「しずかな子は魔女に向いてる」と書いた不思議なメモを渡します。それは一体、どんな意図だったのか。まるで啓示を受けたように、この言葉に草子は惹かれていきます。そして、この言葉が書かれた物語を読みたいと深津さんにレファレンスで依頼するのです。数週間後、深津さんは、その物語を草子に与えてくれます。それは製本されていない紙の束で「しずかな魔女」という題がつけられた「ふたりの女の子の、まぶしい夏休みの物語」だったのです。そんな導入から、もうひとつの物語が始まります。二重構造になった物語はそれぞれが魅力に溢れていて、相互の関係を考えるとより深い面白さがあります。深津さんの思惑はどこにあったのか。この謎が実に蠱惑的なのです。
「不登校の繊細な女の子」「魔女」「おばあさん」の三題噺と言えば、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』を思い出して、世界観が広がります。あの物語ではセンシティブであるがゆえに生きづらさを抱える女の子に、「魔女」としての処世術をおばあさんが教えてくれました。「魔女」は、特別な感性を持ちながらも同時に傷つきやすい心の持主であり、理性や知性でこれを克服しなければなりません。「しずかな魔女」の魔女もまた、「よく見ること。そして考えること」から始まる、やはり自分を修めたところにある透徹した存在のような気がします。司書の深津さんが見せてくれたのは、大切な友情を守るために自分を越えていく女の子の勇気の物語であり、その物語を通じて結ばれる、「もうひとつの友情」を読者は目にするという二重構造が、前者のわりとストレートな物語に複雑な和声を加えて、新たなハーモニーを生み出していきます。物語のようには、現実はうまくいかないけれど、物語に励まされて、現実を変えていくことができる。で、それもまた物語だという多層構造は、きっと読者それぞれに自分が主人公になる未来を感じさせてくれるはずです。