出 版 社: さ・え・ら書房 著 者: ローレン・ウォーク 発 行 年: 2018年10月 |
< その年、わたしは嘘をおぼえた 紹介と感想 >
この後、何か恐ろしいことが起きる、という予見をあらかじめ与えられている作品です。その年、はじめて嘘をついた、という少女の告白から始まる物語には、ずっと緊張感が漲っていて、息苦しさを感じるほど。それでも先を読み進めたくてページをめくっていました。抑えられたクールな文体が心地良くも、秘密めいていて、息を潜めてしまいます。1943年の秋。オオカミ谷の近くの丘陵地の農村に暮らす少女、アナベルはもうすぐ十二歳。これから起きる事件は、すべてベティという少女が同じ学校に転校してきたことが発端です。生徒が四十名程度の学校といっても、先生が一人で全学年を見ているとなると全員を統制することは難しい。ベティは「矯正不可能」なため田舎に送られてきたという噂があるほどの札つきのワル。嘘つきで粗暴で狡猾。彼女は農家や牧場から学校に通う子どもたちの小さなコミュニティの中で支配力を強めていき、アナベルにも脅しをかけ、金品を要求するようにもなります。アナベルは毅然とした態度で対峙していますが、ベティの持つ黒い心に抗うことは難しい。そんなアナベルを助けてくれたのは、いつも近所をうろついている男性、トミーでした。かつての戦争で身体と心に深い傷を負っているトミー。何故か三梃の銃を抱えて、ほとんど口をきかず、森のはじでただ佇んでいる様子のおかしな男性です。周囲からは奇異な目で見られていましたが、アナベルはトミーと少なからず交流があり、興味を抱いていました。トミーがアナベルを助けたことは、ベティの心を焚き付けて、多くの悲劇を生むことになります。ニューベリー賞オナー受賞作。重い事件に翻弄される少女の心の波動が、ビビットに伝わってくる回想の物語です。嘘をつくことで真実を求めたアナベルの苦い勇気が胸をうち、深く突き刺さってくる。そんな読後感を是非。
「救いようのなさ」について、考えています。黒い心を持った女の子に、大人しい女の子が隷属させられていく児童文学作品をいくつか思い出していました。『チューリップタッチ』や『コブタのしたこと』、ニューベリー賞受賞作の『エルフたちの午後』もそんな話だったか。程度の差はあれ、黒い心を持った「隣人」については、どう対していいのか考えてしまうところです。それが子どもであった場合、物語のスタンスは様々です。問題児の抱えている問題に大人たちは触れることをせず、エスカレートしていく暴挙を、真面目な女の子がただ見つめている。その戸惑いや慄きを繋ぎとめるだけでなく、物語は次のステージを提示していきます。設定に類型性はあっても、結末はそれぞれです。救いようのない人間はいない。そんな言葉がおためごかしだと子どもが知ることもまた、あざやかな成長の瞬間です。この物語の原題は「WOLF HOLLOW」。このオオカミ谷は、かつて村を荒らすオオカミを突き落とすために穴を掘り、狩りをした場所です。子どものオオカミは殺さずに犬のように育てられないのか、という幼いアナベルの質問に、祖父は、オオカミはきちんと育てたとしても犬のようになることはないと答えます。犬とオオカミは仲良くできない。それは幼いアナベルには腑に落ちるものではなかったと思いますが、やがて彼女が身をもって知ることと重なっていく、象徴的なエピソードとなります。この無常感を、アナベルは「寂しい」というのか。救われなかった魂についても、この物語は多少の余白を残しており、「真実」の振り幅についても考えさせられるところがありました。
ベティによって、トミーは罪を着せられ、窮地に追い込まれます。アナベルはトミーを信じ、救おうとします。特異な人物と思っていたトミーの心をアナベルは次第に知り、彼が心に抱えているものを感じ取っていたのです。自分を戦争の英雄とは考えられず、罪の意識だけを抱え、震えながら生きている孤独な魂。子どもの視線の先にいる、純粋すぎて、この世界では生きづらい大人を描くことも類型の多い題材ですが、この物語の持つ悲壮感は秀逸です。トミーは心を打ち砕かれてしまった大人です。他の大人たちは、壊れてしまった彼を遠巻きにしたまま近寄らない。そんなトミーのために、覚悟を持って、嘘をつくアナベル。それは真実を求めるための決死の行為です。回想の中で語られていく、少女の心の軌跡が実に読ませる作品です。人は救われるとはかぎりません。穴に落ちたまま、上を見上げ、呪い続けるしかないこともある。世の中を支配しているものは無情であり、無常ですが、それでも、無常感を抱く必要はないのかも知れません。ここが暗く塞がれた世界であったとしても、それでも、強く自分の意志を持って生きていく少女の覚悟に、物語は彩られていくのだと思います。そんな意志が表紙の装画にも漲っていますね。