スクラッチ

出 版 社: あかね書房

著     者: 歌代朔

発 行 年: 2022年06月

スクラッチ  紹介と感想>

幼なじみの男女が思春期を迎えて、もとより恋愛感情があるわけではないけれど、互いに気になる存在としていつも傍にいる状態で、自分のことは気づかないままに、相手のいつの間にかの精神的な成長に目を見張ったり、驚いたりする。そんな日々がそれぞれの主観から交替で語られていく物語、といえば、『アップルバウム先生にベゴニアの花を』や『ぎぶそん』などが思い浮かびますが、他にもまだまだあったような気がします(そのうちテーマに入れていきます)。本書もまたその形式によって、醸し出されるエモーショナルな魅力が存分に味わえる一冊です。自分より小さいと思っていた幼なじみの身長が伸びていて、いつの間にか追い越されていたことに、ある日、突然気づくという展開はよくあります。精神的な成長もそんな感じで、思いがけない大人びた言葉に、唐突にハッとさせられるあたりに妙味があります。タイプが違う二人。YAの幼なじみモノは、活発な女子と真面目で大人しい男子という組み合わせが常套です。ずっと男子のことを守ってきてやったという自負のある気の強い女子が、気がつけば、自分よりもしっかりしている男子に驚愕して、焦りを覚える気持ちの正体はなんなのか。本書は、この黄金パターンに、2020年の「コロナ禍」スタートの年というシチュエーションが重ねられます。こう書いていくと、なんとなくお決まりのベタな作品のような先入観を与えてしまうかも知れないのですが、その魅力は、ありきたりな凡庸さが「剥がされた」ところから垣間見えてくるサムシングです。スクラッチ。表面が削られ、塗りこめられていた鮮やかな色彩が顔を覗かせる。実直で清廉で真摯な思春期の物語の魅力を満喫できる物語。ああ、自分もこんなちゃんと正しく悩む中学生時代を送りたかったと思ってしまう、実に羨ましいお話です。

2020年。学校行事やスポーツの全国大会が、ひろがり始めていた新型コロナの感染防止のために軒並み中止になった夏。中学三年生で、女子バレー部の部長でエースでもある鈴音(すずね)はこの状況に怒りを募らせていました。自分にとって最後の全国大会である総体が行われないことで、未消化なまま中学時代を終わることになってしまう。やり場のない怒りを、幼なじみで美術部部長の千暁(かずあき)にぶつけてみたものの、そんな八つ当たりはいつものことで受け流されます。一方の千暁もまた、毎年行われていた子どものための美術展が、今年は選を行わず、参加作品を展示するのみの大会になったことに拍子抜けしていました。千暁は、もちろん絵が上手いのですが、どうすれば入選できるのかを考え、そこに寄せて絵を描くことで、これまで二回、特選に選ばれていました。そうした絵を描いていて楽しいかと、美術顧問のちょっと変わり者の仙先生に問われたことが、千暁の大いなる葛藤を引き出すことになります。体育祭中止でパネル展示もなくなり、次第に自分の表現の場所が狭められていくことで、千暁は自分の渇望を感じ始めます。ストレートに自分の不満を口にする猛々しい鈴音と違い、優等生で自称陰キャの穏やかなはずの千暁。その情動が激しく揺れ始めていることに鈴音も驚かされます。小学四年生の時、大型台風の被害で家を失い、母親の実家があるこの町に引っ越してきた千暁。両親の苦闘を見ながら、自分がどうふるまうべきかを意識してきた千暁。彼が、自分を表現することに目覚めたきっかけは、鈴音が汚してしまった自分の絵を黒く塗りつぶしたことです。黒い画の表層を削ることで、その下に隠された色彩を削り出すスクラッチ技法。鈴音をモデルに、千暁は、隠されていた自分の色を削り出していくのです。コロナ禍によって、予想しなかった事態と直面することになった子どもたちが、そこから新たな世界を見つけ出すプロセスが見事に描き出されていきます。

コロナ禍に黒く塗りつぶされた中学三年生の夏。そこから顔を覗かせる鮮やかな色彩は、自らをスクラッチする切磋琢磨が見せてくれるものです。コロナによって少なからず変わってしまった日常生活ですが、それを転機として、人生の新しい軌道を見つけ出していく子どもたちの姿に力強く励まされる物語です。また、創作することの歓びを、鋭い言葉で切りとった物語でもああります。千暁が自分の表現を見極めていく試行錯誤と、迷いを吹っ切って開眼していく姿や、また周囲との関係性の中で、自分を深めていく、逡巡や思考のループも見どころです。千暁に比べるとやや大雑把な印象を覚える鈴音ですが、彼女なりの葛藤も読ませます。文化系も体育系も、等しく悩める年頃なのです。自分も少しだけ創作をしたことがあります。最初に物語を書き切った時は、出来はともかく、ちょっと陶酔を覚えるような達成感がありました。ところが、書いた作品を公募に出すようになると、今度はいかに勝ち上がるかが目的となってしまい、結局、創作する意味を見失ったような気がします。自分自身に向き合うようなチャレンジではなく、小賢しく点数を稼ぐだけの姑息さでは、結局、大成しなかったですね(単に才能の問題ですが)。この物語の千暁のような潔さや、自分を越えていく挑戦を非常に羨ましく思いました。純粋に自分を表現することを突き詰めていく潔さが、豊かな言葉で描かれていく物語です。