はるかなるアフガニスタン

Extra credit.

出 版 社: 講談社

著      者: アンドリュー・クレメンツ

翻 訳 者: 田中奈津子

発 行 年: 2012年02月


<  はるかなるアフガニスタン  紹介と感想>
アビーはイリノイ州に住んでいる小学六年生の女の子。彼女は、高いところに登るフリークライミングという競技に夢中になっています。イリノイ州中部の土地はまっ平で、登ると言っても、小学校の体育館にある9mの人工の登り坂が一番高いところです。実は、アビーはこれまでに山というものを見たことがなかったのです。アビーは学校の勉強が苦手です。成績は下がる一方で、あやうく落第させられそうになっていました。先生は進級するための特別課題をアビーに出します。それは「異なる文化を持つ外国の学校の生徒と文通する」ことでした。いったいどこの国の子と文通をしたらいいのか。アビーは地球儀を指でたどりながら考えます。イリノイ州とはまったく違う山だらけの国はどうだろう。ヒマラヤ山脈をなぞるように北西に進むと、岩だらけのヒンドゥークシュ山脈、そこにあるアフガニスタンという国の子と文通したいとアビーは考えます。さて、アフガニスタンの首都カブールから百キロ以上も離れた村では、アメリカの女の子から文通希望の手紙がきたことが大騒ぎを引き起こしていました。村の重鎮たちが招集され、対策会議がはじまります。そして、ちゃんとした英語の手紙を書ける、村でいちばん勉強のできるサディードという男の子が、アビーの文通相手となるべく選出されました。しかし、男女で文通することなんて許される土地柄ではないため、サディードは妹が書いているというふりもしなければなりません。こうして文通は、互いにごく普通の日常を書き送るあたりからスタートします。異なる文化を持つ、外国に育った二人に、果たして、どんな会話が交わされるのでしょうか。

アビーはサディードの手紙に大いにカルチャーショックを受けます。なにせ、サディードの村では、向かいの家が突然にロケット弾で吹き飛ばされたりすることが日常の出来事なのですから。アビーもアメリカでの生活について書き送り、次第に文通は盛り上がっていきます。妹のフリをしていたサディードも、その役割をこえて、つい自分自身の言葉で手紙を書きたくなってしまいます。はるか遠くの国に住む、遠い存在の人と言葉を交わすことに、二人は胸の高鳴りを覚えるのです。ところがこの文通は、タリバン兵に妨害されて止めざるを得なくなります。アフガニスタンには、アメリカを嫌う人たちが沢山います。アビーの方でも、サディードの手紙を学校でみんなに見せたら、アフガニスタンの国旗を見ると不愉快になるという子の親から学校にクレームが寄せられます。子ども同士が、ただ親しくすることさえもできない、国と国の壁。その高い壁を乗り越えることが、まだ子どもである二人にはできません。しかし、これまでアビーがまっ平らで退屈だと思っていたイリノイ州の風景も、サディードの視線を想像しながら見る時、これまでと違う美しさを持つことにアビーは気づいたのです。

アフガニスタンが紛争の真っただ中にいたのは、随分と前のことかと思いますが、現在でもその余波はあって、平和とはいいがたい日々が続いています。本作品は、2013年度の課題図書に選ばれた本なので、多くの日本の子どもたちが、この本を読んで感想文を書いたのでしょう。ロケット弾が突然、降ってくるようなアフガニスタンの日常については、アメリカに住むアビーと同じように、日本の子どもたちにも共感が難しかったのではないかと思います。かつての日本の児童文学作品には、リアルタイムで外国で起きている戦争(朝鮮戦争やベトナム戦争)への言及があったり、それが物語の主要なテーマになっている作品もありました。日本の過去の大戦を、平和への祈りを込めて描いた戦争児童文学は、現在も盛んなのですが、1湾岸戦争以降の海外での戦争について、およそ触れられることがなかったかと記憶しています。それほど、外国のことと日本の子どもの日常とは遠くなってしまったものなのか。世界で今、起きていることには、やろうと思えば、リアルタイムでコミットすることができる時代となりました。ただ、日本の子どもたちは、まず意識の上でそこから離れてしまっているのかも知れません。見て見ぬふりをしているわけではなく、目に入ってこないことはあります。今、銃撃や爆撃の火中にいる戦地の子どもたちに対して、何ができるというわけではないのですが、まず、意識することから始めるべきなのかも知れません。平和教育のカリキュラムの効用もありますが、海外現代児童文学を読むことも、世界を広げるものになるではないのでしょうか。

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