出 版 社: 評論社 著 者: エリン・エントラーダ・ケリー 翻 訳 者: 武富博子 発 行 年: 2020年01月 |
< ハロー、ここにいるよ 紹介と感想>
気弱で自分を「ダメ人間」だと思い込んでいる十一歳の少年が、それでも克己心を奮い、勇気ある一言を好きな女の子に告げるまでの物語です。この主人公の少年、ヴァージルがなかなかの難物です。壮健な兄たちに比べて、虚弱でノロマなものだから、家族から「カメ」と呼ばれているのは虐待ではなく、愛されているがゆえのニックネームですが、本人としてはそんな風に呼ばれることも、そんな自分も嫌なのです。学校ではいつもいじめられ、好きな女の子に声をかけることもできない。そんな失意の彼に賢明なアドバイスを与えてくれるのが、祖母のロラと、ひとつ歳上の自称霊能力者、カオリ・タナカです。悩めるヴァージルはカオリに相談を持ちかけますが、そのアドバイスもまた、真理をついているのか、ただのおまじないなのか今ひとつわからないという面白さ。さて、そんな日々に大事件が起きます。ちょっとした生命の危機に見舞われて、ヴァージルは文字通り身動きが取れなくなります。その窮地を救ってくれたのが、ヴァージルが好きな女の子、ヴァレンシアなのですが、ここにいたるまでの思わぬ展開や、子どもたちそれぞれの思惑や心理が語られていくところに面白さがあります。超然として、達観したそぶりを見せるカオリが非常に楽しいキャラクターです。偶然などない、と運命の導きを説きながら、どこかヴァージルのカウンセラーのような趣きもあるカオリ。大人びた態度と子どもっぽいところがミックスされて、物語の狂言回しとして燦然と輝いています。妹のユミとの掛け合いも秀逸です。さて、甲羅から出てこないカメのような内気な少年ヴァージルをめぐるささやかな勇気の物語。2018年のニューベリー賞受賞作です。
悪夢に悩まされている十一歳の少女、ヴァレンシア。彼女がスーパーで見つけたのは、霊能者カオリ・タナカの「相談者歓迎」という貼り紙でした。しかも「大人はおことわり」の但し書きもある。携帯電話にメッセージを送り、面談の予約をとったものの、果たして『六十五歳の「自由の闘士」の生まれ変わり』だと名乗る十二歳の少女を信用していいものなのか。本名を隠して「ただのルネ」と名乗り、カオリに会いに行ったヴァレンシアは、怖い夢を見る原因は、ひとりぼっちでいることを恐れているからだと指摘されます。いや、そんなことはない、ひとりでいるのが好きなのだとヴァレンシアは跳ね除けますが、実際、ヴァレンシアはひとりぼっちだったのです。仲の良かった友だちに「話し方が変だから」という理由で距離を置かれてしまったヴァレンシアは、もうひとりでいいと強がりながらも、どこかに心の隙間が空いていたのかもしれません。さて、ヴァレンシアはどこか落ち着かないカオリの様子が気にかかります。聞いたところによれば、面談を予定していたヴァージルという少年が、約束の時間になってもやってこないというのです。何か事件が起きたことを察しているカオリの様子に、ヴァレンシアは、一緒にヴァージルを探そうと持ちかけます。一方その頃、ヴァージルはどうしていたのかというと、カオリの家に向かう途中の森で、いじめっ子のチェットと遭遇し、ペットのモルモットが入ったリュックを古井戸に投げ入れられてしまい、それを救うために自分も井戸の底から這い上がれなくなっていたのです。携帯電話は壊れて、誰にも助けを求められないまま、さらにヴァージルの性格もあいまって絶望的になっていきます。今まで一度も大声を出して、人に助けを求めたことがないヴァージル。もはや死を覚悟するものの、それでもあきらめずに叫び続けます。まさかヴァージルが好きな女の子、ヴァレンシアが、「偶然にも」カオリと一緒に自分のことを捜索しているとは知らないまま、深い井戸の底で、ヴァレンシアに声をかけられなかったことを後悔し続けるヴァージル。さて、ヴァレンシアの機転によって救いだされたヴァージルは、彼女に一体なんと声をかけたのでしょうか。
ヴァージルが五歳の時から一緒に住むことになった祖母のロラはフィリピン人で、愛するヴァージルにフィリピンの色々な寓話を話して聞かせてくれます。ワニやヘビ、石に食べられる話ばかりで、なんの意味があるのやらなのですが、この祖母の深謀遠慮と庇護のもとに育ったヴァージルは、気弱ながらも内なる自分を静かに鍛えられていたのです。海外を出自に持つということでは、カオリ・タナカも日系二世の両親を持つ子どもであり、サムライを意識しています。同じフィードルドで多様性として語って良いかどうか気になるところですが、ヴァレンシアは耳がほぼ聞こえず、補聴器と人の唇を読むことでコミュニケーションをはかっています。こうしたマイノリティの部分を抱えた子どもたちに対峙するのが、いじめっ子のチェットで、ビジネスエリートである父親の影響を受けて、ダメな人間にはダメであることを思い知らせることが正しいと思っているような子です。とはいえ、チェットにもまたコンプレックスからの心の隙間があり、それを耳の聞きえないヴァレンシアには全部見透かされているような恐怖を抱いています。ハンディキャップがありながらも前向きなヴァレンシアですが、そのことで友だちが離れていってしまったことにが悪夢の要因になったのかも知れません。子ども社会は世の中の縮図であり、時にハードモードでそれを体験することも、傷つくことも多いものです。多様性を描く児童文学が増えています。それぞれが多様な自分の立ち位置からスタートするものですが、どこに向かうかは自ら決めていくことができます。今立っている場所を認めあうことももちろんですが、その先の世界とどう出会っていくか、そこにポイントがあるかと思います。原題の『HELLO, UNIVERS』にはそんなスピリットを感じました。ヴァージル捜索で親しくなり、カオリがヴァレンシアに一緒に会社を設立しようと持ちかけるくだりは楽しいところですが、それも彼女の素養を見込んでのことです。今を認め、未来を一緒に作っていく。そこがスタートですね。