ゴースト・ドラム

北の魔法の物語
The ghost drum.

出 版 社: 福武書店

著     者: スーザン・プライス

翻 訳 者: 金原瑞人

発 行 年: 1991年05月


ゴースト・ドラム  紹介と感想 >
生まれながらに謀叛の疑いをかけられ、高い塔の上の丸天井の部屋に閉じ込められて育った皇太子サファ。残虐をもって知られる父の皇帝は、生まれるであろう皇子が自分に仇をなすとの予見を信じ、皇子を孕んだ后もろともに幽閉しました。月満ちて皇太子を産み落とすと后は嘆きのうちに亡くなり、乳母のマライアンに育てられることになったサファ。太陽や月の光を見ることもなく、話に聞く外の世界の木や森を見てみたいと思いながらも、この狭い部屋の中を一歩も出ることはできません。やがて乳母マライアンも処刑され、一人きりになってしまった皇太子は、外の世界に出ることを熱望しながら、この昼夜のない丸天井の部屋で寂しく暮らしていました。なんとかして、ここから出たい。囚われのサファの心の叫びを聞いて、彼を救い出しにきたのは、魔女チンギス。ウロコを帯びた鶏の脚の生えた家に住み移動する彼女は、塔を見張る兵士たちの目を欺き、サファを外の世界へと連れ出します。魔女は長ずるに、弟子を育て、己れの学識、知識を伝えていきます。チンギスもまた、人間の奴隷の子として生まれ、魔女の老婆に拾われ育てられた娘でした。幼くして、沢山の知識と魔法を結ぶ言葉を覚え、その聡明さから、他の魔女たちから羨望の眼差しを送られたチンギス。死の国へ旅立った老婆から、鶏の脚の生えた家と蔵書を譲られ、魔女として一人立ちした彼女。とはいえ、魔女が、成長した男の子を拾い上げるなど異例のこと。魔女チンギスは、なにゆえにサファを救いだしたのか・・・。イタチの頭蓋骨を真ん中に載せた太鼓を打ち鳴らせば、太鼓の皮に書かれた文字の上を頭蓋骨が踊り、魔女に啓示を与える。それが、ゴーストドラム。幻想が錯綜する北の氷結した大地の上、魔女チンギスが皇太子サファを守るため、熾烈な闘いを繰り広げる浪漫あふれるファンタジーの傑作です。

イメージの氾濫。読み終えて、興奮冷めやらぬまま書いておりますが、いや、この物語の背筋の冷たくなるような肌触りをどう伝えたらいいいのか言葉が追いつきません。この非情な物語には、潤いの入る余地はなく、残酷な緊張感がはりつめています。目をそらしたいのに、ぐいぐいと気持ちを引き込まれていくのです。雪と氷にとざされた凍りつく地平で、猫の脚であったり、ガチョウの脚であったり、それぞれ動物の脚の生えた家に住み移動する魔女たち。彼女たちが、長すぎる寿命をまっとうして、死の国へと赴くその前に、育てあげるのは一人の娘。それが次代の魔女となる。魔法の覚えの良い優秀な魔女として評判となったチンギスは、それゆえに激しい嫉妬を向けられることとなります。残虐な人間たちや、悪い魔法使いクズマとの闘いは苛酷を極め、殺されて、死んでさえなお、死の国から舞い戻り、闘い続けるのです。野生動物に食い荒らされた死体でよみがえり、仇敵と闘うゾンビ状態。もう子どもの頃に読んだならトラウマになってしまいそうな、悪夢の世界が延々と繰り広げられます。戦いの歴史は繰り返されながら、記憶は風化し、悠久の時が流れ、転生の希望がほのかに灯る、なんとも、不思議で奇怪な物語なのです。塔に幽閉された皇子、聡明で考え深い魔女、過酷な権力争いの中で死んでいく人間たち、そこらへんに転がっている気まぐれで安価な死、そして、彼岸にある死の世界。鮮烈なイメージに心を奪われる、壮大な北の大地の物語。これは、はるかかなたの湖のそばに立つカシの木に、金の鎖でつながれた世界で一番物知りな猫が語っているお話であるという入れ子構造も、また、神秘性を増幅させられます。

魔女、というと、オシャレ魔女的な可愛らしいイメージが現在では一般的かと思います。日本のアニメや児童文学の場合、便利な魔法を使えるスーパーレディ的な印象が強いですね。外国文化のいいとこどりという感じです。翻訳作品で魔女と出会うとき、時として、その印象は覆されて、その血なまぐさく禍々しいイメージに打ちのめされます。本書と同じく金原瑞人さん訳の『逃れの森の魔女』(ドナ・ジョー・ナポリ)は、ヘンデルとグレーテルを下敷きにした物語ですが、ここに登場する魔女は、オリジナル以上に「童話的」な雰囲気は皆無です。もとより魔女は悪魔に使役されるもの、一方で、魔術師は悪魔を使うもの。一瞬の心の迷いのため、悪魔の虜となり、魔女にされてしまった女魔術師。名作のパロディという諧謔なものではなく、彼女が魔女になるまでの軌跡や、その魔女になってからの誘惑との戦い。漲る緊張感と神秘性に、息を飲み続けました。恐怖に我を忘れる読書もまた、楽しみな時間です。