出 版 社: 岩波書店 著 者: エドワード・ホーガン 翻 訳 者: 安達まみ 発 行 年: 2013年09月 |
< バイバイ、サマータイム 紹介と感想>
ダニエルが自分の家のテレビを破壊したことには理由があります。その理由が両親にバレるとマズイことになるのもわかっていたのですが、とりあえず目の前からテレビを消すしかなかったのです。屋根を共有している隣の酒屋のセキュリティ・カメラの映像が配線の関係なのか、何故かダニエルの家に配信され、それで母親の浮気現場を目撃してしまうというダニエルの悲運。結局はそれを告白せざるを得なくなり、結果的に、両親は離婚して、母親は出て行くことになります。傷心の父親と共に取り残されたダニエルは、自分のせいでこんな状況になってしまったことを悔いていました。そんな状況下でリゾート施設に一週間も滞在するという行為が気分転換になるものなのか。父親は呑んだくれてばかりだし、太った自分の体型を気に病んでいるダニエルにとっては水着や薄着になることもはばかられるものです。ヨーロッパ最大の滞在型スポーツリゾート、レジャーワールド。暗澹たる傷心旅行には不向きなこの施設で、ダニエルは運命的な出会いをすることになります。2012年10月21日から28日までを描くこの物語は、イギリスの夏時間(サマータイム)が切り替わるカウントダウンをしながら、ついには標準時より進めていた時計を1時間戻す年に一度の瞬間を迎えます。時間の不思議なあわいに閉じ込められた女の子を救うために、ダニエルが勇気をふり絞るファンタジックでペーソス溢れる展開が魅力の物語です。そして、赤いフードつきのパーカーを着た女の子を後ろに乗せて自転車をこぐ太った少年を描いた淡く美しい装画を、読後に見つめて切なくなる。そんな胸の痛みを味わえる素敵な作品です。
レジャーワールドに到着したその日、電動カートが、路上に立っていた女の子を轢きそうになるところをすんでのところで止めたダニエル。その子が、自分以外の他の人には見えないという特性に気づくにはしばらく時間がかかります。レジャーワールドの中でしばしば顔を合わせる彼女はレキシーという名前で、ダニエルよりも少し歳上でユーモアがある、とても素敵な女の子でした。両親のことで頭を悩ませるダニエルの打ち明け話を良く聞いてくれて、なんとなく励ましてもくれる。ただ、いつも泳いだばかりなのか水に濡れていたり、その特異な行動や、彼女が腕にしている逆に進む時計や、日を追うごとに身体が傷ついていく不思議に、ダニエルも次第に疑念を抱くようになります。彼女の姓名を知ったことで、ネット検索によって、ダニエルはすぐに真相にたどりつきます。彼女が二年前に死んでいるという事実。死体は見つかってはおらず、殺人犯に襲われて行方不明の状態だとはいうこと。実際、彼女は死んでいながら、毎日、このレジャーワールドの湖畔で甦っては、自分が死んだサマータイムの切り替わる瞬間に向かって時間を遡っているのです。次第に身体に傷が浮かび、怪我はひどくなっていく。やがて、その日に犯人が現れて、再び彼女を殺し、また一年を最初から遡る。そんな無限ループに閉じ込められた彼女を救うべく、ダニエルは立ち上がるわけですが、メンタルはくだんのごとく万全ではないというのがポイントです。でもやるのですよ。
太っているダニエルのからかわれ方など、デブあるあるも色々とあっていじましいところです。カッコ良くはないし、さえたところがあるわけでもないごく等身大の少年です。しかも家庭事情が複雑なことになってしまっているし、傷心のお父さんがダメダメの状態になっていることの責任も感じているので、かなり困った状態です。学校では萎縮しがちな少年であるダニエルが、レジャーワールドではワルっぽい少年たちと渉りあってみたりするのも、リゾート効果か、別天地で日常を抜け出していく姿は頼もしいものです。母親の浮気を目撃していたのに、上手くやれないまま両親が離婚したことに苦しんでいるというダニエルの状況は、名作『ひとりぼっちの不時着』と似たところがあるのですが、さすがにあのタフな物語のような非日常空間に放り出されるわけはなく、レジャー施設というぬるさも面白いところです。イギリスのアッパークラスではない家庭の子たちを描いた物語であると訳者あとがきに指摘がありますが、庶民感みたいなものがあるんですね。お父さんが情けなくもしょうがないのですが、ダニエルへの愛情にあふれていて、窮地の彼を救うあたりも、物語の展開の面白さです。なにより父子のユーモラスなやりとりが楽しいのです。捨て鉢になっているお父さんもまた再起していく物語であり、サブキャラクターとしての魅力が光ります。幽霊ないし、死んだ人との邂逅を描く物語は、幸福な結末として、現世から「成仏」することでの別れが待っています。レクシーはほんの一時だけダニエルの心に触れて去っていき、それがダニエルを変える契機となる、これがあまりウェットにならず、実に粋な感じで描かれているのも特徴的です。ほどよいペーソスの匙加減がある物語です。『バイバイ、サマータイム』という邦題の、バイバイの軽さが、ちょっと切なく、でもなんだか良い感じなのです。