出 版 社: 講談社 著 者: 河合二湖 発 行 年: 2009年09月 |
< バターサンドの夜 紹介と感想>
思春期の匂いたつような「青さ」。若さには憧れるけれど、青さには距離を置きたいものです。特に自分自身が青かった記憶には。病気ではないし、心が壊れているわけでもないけれど、「崩壊未満」の危うい精神のバランスを抱えて生きているのが、中学生女子のセンシティブ。自分が嫌いだけれど、自己顕示欲はある。学校の凡庸な友だちには馴染めず、それでもあまり浮き上がらないように自分を抑えている。中学一年生なのに成長の早い自分の女性的な身体にコンプレックスがあって、胸にさらしを巻き、深夜に放送されているアニメに登場する少年たちに思いを寄せる。「小川未明」からとったミメイという名前を名乗り、少年のような凹凸のない身体と、細く伸びやかな手足に憧れる少女、なんてもう「青さ」を通り越して「痛さ」爆発です。もっとも文章や台詞は落ち着いていて堅調だし、周囲になじめないちょっと変わり者の少女の葛藤はステレオタイプで、むしろ懐かしさを覚えるトーンです。周囲の人間から自分がどう思われているのか、必要とされているのかいないのか、クールを装いながらも、狂おしく人の気持ちを希求している。なのに、他人には関心がない。ささやかな自分の理想には情熱を注ぐけれど、誰かを理解しようとか、幸福にしようとは思わない。自分しか見えていないのは、悪気があるわけじゃなくて、気がつかないだけなのです。鼻もちならないカッコつけすぎの自意識過剰の中学生。ね、懐かしいでしょう。ここはひとつご自分の思春期を思い出して、「うひゃー」と目一杯恥ずかしくなりましょう。そういうチャレンジだと思って読んでみるのも面白いと思います。うひゃー。
主人公の赤羽明音は中学一年生。私立中学に入学したのは、地元の子たちとどこか馴染めないところがあったからか。夏休みの地元の図書館での同窓会めいた再会にさえ辟易してしまう、そんなタイプ。かといって、私立中学校ではうまくやれているかというとそうでもない。なんとか歩調は合わせているという程度。学校の友だちと話があわない明音が心を奪われているのは、深夜アニメ『氷上のテーゼ』でした。ロシア革命の時代を舞台にした少年たちの運命の物語。あの少年たちに憧れるのは、だんだんと女性めいてくる自分の身体を嫌悪しているからか。そんな明音に声をかけてきたのは、自分の洋服ブランドを立ち上げているという大人の女性、智美。自分のネットショップのホームページに広告モデルとして出て欲しいと頼まれた明音は、アニメ『氷上のテーゼ』に登場する少年、アレクセイのコスプレができるのなら、という条件で、その申し出を受けます。学校の煩わしい人間関係の中で、自分を主張することも、ノーと言うこともできないまま、自意識ばかりが鋭敏になっていく明音。智美のショップでの自分や、コスプレイヤーとしての自分に、微かな自信を得るものの、そんな気持ちをストレートに認めることもできないまま、また少し屈折して、迷走していく。一足飛びの変化はないものの、穏やかに変わっていくものなのかも知れない。そんな季節の心の揺らぎをつなぎとめた作品です。
第49回講談社児童文学新人賞受賞作。文章はしなやかでリズムも良く、物語は真面目で精巧です。繊細な女子中学生ならではの切羽詰まったような焦躁感。この痛々しさになんとも惹きよせられます。中学生男子の妄想めいた自意識過剰は笑いとばせるものなのに、女子はどうにも難しい。とはいえ、思春期の繊細で壊れそうな結晶世界を作りだせるのは女子ならではの特権です。それをみっともない青さだと一刀両断して良いわけはないのです。女子への多少の幻想を抱きながら、温かく見守りたい、そんな青さもあります。おそらく中学生時代に一番欠けているのは他者へのまなざしです。自分のはち切れそうな自意識と同じものを同級生も持っている。かといって、他人の気持ちを推し量ることはまだ難しい。ついぞ自分のことだけでいっぱいになりがちな時期です。それでも人とのかすかな触れ合いが、静かに心にしみとおってくることもある。自分の世界がグラグラと揺らいでいき、いつの間にか成長している。そんな瞬間を、鮮やかに切り取って見せてくれるのが児童文学やYA作品の真髄ですね。小川未明が描く人魚の孤独とバターサンド、そしてロシア革命下の少年たち。メタファーを散りばめつつ、温度の低い物語は続きます。やがて、ごく静かに心の雪解けの音が聞こえてくる。耳を澄ませながら読んで欲しい作品です。