12歳で死んだあの子は

出 版 社: 徳間書店

著     者: 西田俊也

発 行 年: 2019年07月

12歳で死んだあの子は  紹介と感想>

例えば、あまり親しくない同級生が、亡くなったとします。生きていた時には気にもとめていなかったのに、死んでから、その子を強く意識するようになることはあると思います。子どもの場合、死ぬ方がイレギュラーなので、それだけでも、特別な視線を向けてしまうものです。児童文学作品では、こうした生きていた頃にはそれほど関わりがなかったのに、死んでから自分の中で存在感が大きくなっていく「友人」が描かれることがままあります。実際、生きていた頃は人となりを知らなかったわけで親近感を抱きようもなく、死後、その子が遺していったものから浮かび上がってきた姿に、ようやく遅ればせの友情を抱く、なんて、遅きに逸し過ぎていますね。思春期のそんな気持ちは、純粋に友人を思うものなのか、どこかに相手に自己投影をしているのか、複雑な自意識も垣間見えます。本書もまた、卒業間近の小学生六年生の二月に死んだ同級生に思いを寄せる物語です。主人公はもちろん、同級生だった他の子どもたちも、それぞれが今はいない彼について思い出し、その死を悼もうとしています。それが中学二年生の秋になってようやく、という時間の経過にも意味があります。小学六年生から中学二年生という時期をビビットに経験されたことがある方なら、その間の心の成長や気持ちの深まり方にも共感を持たれると思います。いや、むしろ郷愁というか、懐かしくも切ない思春期の心の波動が突き刺さってくるはずです。

中学二年生の秋。小学校の高学年の時のクラスの同窓会に出席した洋詩(ひろし)はやや複雑な気持ちを抱いていました。私立の小学校で、ほとんどの同級生がそのまま附属の中学校に進学できるところ、選考試験に落ちて、公立中学に進まざるを得なくなっていた二人のうちの一人だったからです。あえて別の進学校に進んだわけでもない、こうしたケースは「島流し」と陰で呼ばれていて、そのまま「大陸」に残った子たちに複雑な感情を抱くのも仕方がないところか。それでもあえて同窓会に出席したのは、気になっていた、図書委員の夏野という女子がいたからかもしれません。楽しくないわけでもなかった同窓会を終えて、洋詩がふいに気にかかったのは、六年生の二月に病気で亡くなった同級生の「鈴元育朗」について、誰一人として口にしなかったことです。自分もまた同じであったのは、何故だったのか。そんな折、偶然、同級生の女子、篠原と再会した洋詩は、彼女が自分と同じように「鈴元」のことを気にかけていることを知ります。彼の死後、お墓まいりに行っていないことが気がかりだった二人は、鈴元の親しい友人だった小野田に声をかけます。こうして、次第にクラスの有志で鈴元を悼むための輪が広がっていきます。とはいえ、クラス全員ともなると反応は様々で、こうしたことに関わり合いになりたくない子もいます。洋詩は、生前の鈴元とは特に親しくはなかったものの、元同級生たちから鈴元の話を聞くに及んで、次第に彼に興味を覚えていきます。そして、鈴元もまた、洋詩が好きな夏野のことを好きだったことを、そして告白して振られていたことも知るのです。夏野が卒業文集に載せていた鈴元への追悼文や、鈴元の書いていた詩などの断片がつながり、洋詩の知らない時間を「生きていた」鈴元の姿が浮かび上がってきます。物語は鈴元の三回忌に集まろうとする元同級生たちの、その多感な時期の揺れる心境を描き出します。ここに溢れる抒情性は本文を、ご自分でページをめくって体感いただきたいところです

物語は現代の設定ですが、スピリットはどこか懐かしい時代の青春めいたところがあります。スタンダールや草野心平や高見順を読む小学生男子がいるかなあ、などと思いながらも、いたらいいよね、と思ってしまうし、大切な気持ちを伝えるためにはリアリティがすべてではないとも思うのです。恐らく、現代のリアル中学生たちのSNSコミュニティやネットワークは、旧来の「同窓会」感覚を成立させなくなっているのではないかと想像しています。ネットによって地元の友だちと疎遠になることがない、となれば、ネットも遮断して自分に引きこもることには覚悟が必要だし、かつての時代とはまた違ったタイプの「人づきあい」の葛藤が生じていると思うのです。ということで、この作品には、アニメの『あの花の名前を僕たちはまだ知らない』や、児童文学の「死んでから友だちになる」物語との肌合いの違いなども味わえるかなと思います。あとがきによると、かつて友人を子ども時代に失った作者の実体験から、この物語は書かれているそうです。1960年生まれの作者の小中学生時代と現代とのメンタル面でび細部のギャップはあると思うのですが、同い年の友人たちへの複雑な感情や、人を悼む気持ちも、失われた友人の可能性を惜しむ気持ちも、コアな部分は現代の子どもたちと変わらないと思いたいところです。兎も角、中年男の「文学少年心」を刺激する魔性の物語です。そんなノスタルジーに浸りたい方は是非。