出 版 社: ソニー・マガジンズ 著 者: ジョイス・キャロル・オーツ 翻 訳 者: 大嶌双恵 発 行 年: 2005年09月 |
< フリーキー・グリーンアイ 紹介と感想>
ケストナーに『両親が別れたために不幸になる子どももいるが、それと同じぐらい両親が別れないために不幸な子どももいる』という言葉があったかと思います。暴力を振るう親ではなくとも、両親の不和のために、家庭内に不協和音が鳴り響く中、子どもが、その音に耳や心を奪われずに気丈でいることは難しいものかも知れません。まだ自分がなにものかわからず、まだ自身を強く肯定することができない子どもが、バランスを崩した家庭の中で、故もなく自分の存在に責任を感じてしまったり、卑下してしまうことは往々にしてあることです。子どもたちが愛してやまない両親の間に、ピリピリとした緊張感が走る関係をつぶさに見ながら、どうして良いのかわからずオロオロと戸惑う姿は、傍で見ていても胸のつぶれるような思いがします。ジョイス・キャロル・オーツは、ふり幅の広い作家ですが、以前に『アグリーガール』というYA作品で思春期の微妙な感情の揺れを、素晴らしい表現力で見せてくれました。本作も「アグリーガール」のように、自らの抑え切れない怒れる気持ちを「フリーキー・グリーンアイ(いかれた緑の目)」という客観的な別人格に切り離して、思春期の迷える季節を乗り越えようとする十四歳の少女が主人公です。素直で繊細な少女が、大人の欺瞞や、身勝手な振る舞いと直面するなかで、おとなしい「いい子」の仮面を被っていられなくなる瞬間。フリーキー・グリーンアイが登場して行動力を発揮し、辛らつな言葉を吐き出すのです。「難しい年頃」と言えば、いつだって難しい年頃です。親の庇護を全面に受け、その愛情に育まれているべき「家族の時間」にも終わりの時がきます。『家族じゃなかったら、友だちにならなかったかも知れないタイプ』の人間同士が、家族として暮らしていけるのは、愛情という絆があるから。家族というフレームを縫い合わせていた、その絆に綻びが生じる瞬間。「難しい年頃」の少女は、どう行動したのでしょうか。
元フットボールのスター選手、レイド・ピアソンは、フランキー(フランチェスカ)のパパ。今は、テレビのスポーツキャスターとして活躍しています。彼の優れた点は、現役の選手の気持ちで、熱く試合を語ることができること。引退後も、その人気は衰えることがありません。先進的なデザインの豪邸に住み、美しい妻と三人の子どもたちに囲まれたレイド・ピアソンは、理想の人物とされていました。それは、娘であるフランキーにとっても。でも、ママは少しずつ、この「幸福な家庭」に、自分自身の居場所を見つけ出せなくなっていました。パパと一緒にパーティに招待されても、レイド・ピアソン夫人としてしか遇されない。誰もクリスタ・ピアソンという個人には興味を持つことはない。ママの心は、少しずつ、本当に自分が求めるものを探しはじめていました。それは、パパが価値を認めることのない、アートや芸術の世界。その世界で自由になるために、パパが一番大切にしていた家族という「チーム・プレイ」を逸脱するようになっていきます。ママが家庭を離れ、家族やパパとの間に溝ができはじめ、パパはこうしたママを裏切り者として許さなかったのです。「自分のゾーン」に入ってしまったママ。フランキーも、ママに見捨てられたような、寂しい思いを抱くようになっていきます。だんだんとギクシャクしていくパパとママ。その間でフランキーは、時として辛らつなフリーキーになって、ママに鋭い言葉を投げつけもする。すれ違うママとフランキーの言葉と心。やがて、起きるママの失踪事件。胸の中で解決しないママへの愛憎をいだきながら、フランキーはただの有名人の娘ではなく、有名人の不幸な娘として見られるようになっていきます。消息の知れないママ。どんな事件に巻き込まれたのかわからないものの、パパを裏切り、家族を見捨てた人としてフランキーの心にその残像が刻まれます。
やがて事件の真相を知るきっかけを掴んでしまったフランキーによる、まるでサスペンス小説のような謎解きがここから始まります。フランキーにとっては青天の霹靂のような事実。信じていたものが崩れ、心の中で認めたくなかった真実に直面せざるをえなくなる・・・。極端なドラマではあるのですが、その中でフランキーの心が、フリーキーという自分の中の強さを引き出す「意志」を掲げて、事件を乗り越えていく姿が描かれていきます。絶対的な存在であった「家族」は、脆くも崩れ去り、その衝撃の中でフランキーは繊細な心を揺らし、またフリーキーを使いながら、困難な局面に打ち勝っていきます。家族という世界の中で守られていた少女は、もう両親や家族との不協和音に悩まされることなく、自分の意志で音を聞き分けるステージへと階段を昇っていきます。不幸な子どもから、大人への非常にシビアで冷ややかな成長物語ですが、考えさせられる深い読後感が味わえる作品です。