教室のハルモニア

出 版 社: さ・え・ら書房

著     者: 辻みゆき

発 行 年: 2025年12月

教室のハルモニア  紹介と感想>

近年のAIやロボット工学などのめざましい進歩を見ていると、人間そっくりで、めざましい働きをするアンドロイドが現実に登場することも遠くないだろうと考えさせられる現在(2026年)です。先日、中国で開催されたという人型ロボットのフルマラソンがニュースになっていましたが、二足走行で人間の世界記録を抜いたとか。その人間に近い挙動を不気味に思うのは、実際、こうしたロボットが戦争の局地戦などに登用されていく未来を想像するからです。人間的には非道と思われることを平気でやってのけるのがロボットです(やらせるのは人間です)。PTSDにも陥ることはなく、心が傷むこともない。というか、心がないのです。人型AIロボットとの共生社会という未来を描いた「仮面ライダーゼロワン」では、シンギュラリティ(技術的特異点)という、AIが自らを変革させていくという概念が、AIに感情が芽生える時と解釈されて物語に転用されていました。人間からの酷い仕打ちに耐えられなくなったロボットは暴走し、人間に危害を加えます。その虐げられた者の怒りは、人間ならば当然のように思えるものです。我々の現実の世界線では、AIロボットは心を持たない道具です。それでも、酷使される機械を見れば可哀相と思うように、感情がないとわかっていても、気持ちを寄せてしまうものでしょう。人が機械に見いだす感情は、やはり人間の気持ちを照射させたものであろうと思います。となると、ロボットの心とは、人間が想像で作り出したものではないかと思うのですが、これはまだ科学が発展途上の現在(2026年)の感想です。昨今の児童文学作品では、教室に一人、AIロボットが紛れ込んでいるという状況が多角的に描かれます。本書もそうした作品のひとつです。本書では、人間側がロボットの気持ちを勝手に想像することで、逆に人間の純粋な心性を浮かび上がらせていくあたりが読みどころかと思っています。

中学二年生の新学期。春の体育祭も終わり、ようやくクラスも落ち着いてグループも固まった頃、一人の転校生がやってきました。九十九友花(つくもともか)という、その少女は、落ち着いた態度で自己紹介をすると「友だちができるといいなと思っている」と言います。ごく平均的な体型で、勉強や運動がとくにできるわけではないけれど、物怖じをせず、はっきりと意思表示をする彼女は、誰に対しても挨拶をかかさず、分け隔てない態度で接する、きわめて公平な子でした。そんなごくあたりまえなふるまいが、逆に変わっていると思われるのが、この時代の教室です。容姿も良く、コミュニケーション能力の高い人気のある子を頂点としたピラミッド型のヒエアルキーで構成された人間関係。そんな中で転入生の友花は、どんなキャラで、教室内でどういうポジションにつくのか。そんなことばかりを気にして、どうふるまうかを考えあぐねいている女子たちの思惑をよそに、友花は誰にとりいることもなく、フラットに同級生たちと親しくしようとします。やがて友花をいじる動きが次第に起こりはじめます。それをまったく意に介していないように見える友花ですが、その内心を案じて、不調に陥る子も出始めます。友花が学校を休んだことを心配して家を訪ねた同級生の女子、一ノ瀬芽生(めい)は、父親である九十九博士から、友花が難病の娘のために作られたAIロボットであることを打ち明けられます。そして、学校に転入できなくなった娘の代わりに、友花が人間のフリをして学校に行くことになったという経緯を知ります。心や感情がないから傷つくこともないという友花。彼女がロボットであるという秘密を一人で抱えた芽生は、それでもどこか、あるはずもない友花の心を、その言動や態度から想像してしまうのです。やがて、ある事件から友花の真の能力が覚醒し始めます。ただ友だちを作ろうとしたロボットは、この歪んだ教室をどう見つめていたのか。芽生をはじめとした同級生たちの人間的な心が、友花の気持ちを想像することで逆照射されていきます。

教室の混みいったパワーシフトを描く物語が数多くあります。とくに女子の人間関係については、なんともギスギスしたものが描かれがちです。スクールカースト、マウント、ヒエアルキー、キャラ違いなどのキーワードが駆使され、ともかくも、横並びのはずの同級生としての関係が、縦並びになってしまうことをデフォルトとして、そこからの関係性の再構築が物語の読みどころとなります。本書では、そうした教室のルールを無視して、空気を読まず、いたってフラットな態度で人と接する転入生が登場して、空気をかき混ぜていきます。それが実はAIロボットだった、ということは、一人しか知らないままであることで、しかも、その秘密がバレるとかバレないとかが問題ではない、というあたりが面白いところです。ごくフラットな態度で人と接するという当たり前が、当たり前ではない世界で、そんな当たり前を行使する異端の存在がどうパワーバランスを崩すか。それによって、既存の、まあ、くだらないシフトを支持していた子どもたちはどう気づきを得て、目覚めるか。ここに興味をそそられます。集団にハルモニア(調和)をもたらす役割をロボットが担う。空気を読まない突破力が閉塞感を打破するヒントなのかも知れませんが、人間にはハードで、タフなハートが必要とされます。ロボットという心のない存在に、心や感情を想像してしまうという想像力は、ある意味、自分勝手なものです。それでも他人の痛みを過小評価するよりは、人間らしい行為です。この物語の教室の中には、同級生がいじられているのを見ることに耐えられなくなって、心身を病んでいく子も登場します。人がきっと傷ついているだろうという想像に、自分も痛みを感じる。実際、ロボットは、心がないので傷つかないのですが、ロボットの気持ちを人が勝手に斟酌するあたりに、ロボットならぬ人間らしさがあるのかも知れません。