ラブリィ!

出 版 社: 講談社

著     者: 吉田桃子

発 行 年: 2017年06月

ラブリィ!  紹介と感想>

明るく行動的で、ちょっとやんちゃでウッカリ者。なによりもナイーブであること、というのが児童文学の男子主人公に求められる資質です。正義感の強さと気弱なところがないまぜになっていて、ヒーローみたいに振る舞えないわりには理想が高くて、自分の不甲斐なさに反省することも多い。なかなかスマートでカッコ良くとはいかないのだけれど、そこが魅力的だったりすることに本人は気づいていない、というのも常套です。本書もまた、そんな正統派の男子主人公が活躍します。十四歳の中学二年生男子にして、自称天才映画監督、井出拓郎。小学五年生の時から応募してきた青少年創作映像コンクールについに入賞を果たし、有頂天になります。本賞ではなく、審査員の世界的な映画監督が拓郎の作品を気に入って、審査員特別賞を授与されたことも、それこそ特別なんじゃないかと思えてくる。ところが審査講評を読んで卓郎は驚きます。審査員の毒舌で有名な映画監督は卓郎の作品『本町商店街のリリー』を激賞してくれてはいるのですが『なんといっても主演のブス女優がすばらしかった。ラブリー! この映画を見たものは必ず、このブス子ちゃんこと涼子に愛しさを感じずにはいられないであろう。』という内容で、さすがにこれは主演の田沼涼子を傷つけると拓郎も考え、この講評を人目に晒すわけにはいかないと胸に誓います。さて、ここから拓郎は、何故、人はこんなにも見た目を気にするのか、という命題が頭から離れなくなります。調子の良い少年が真摯に考え、自分のなすべきことを為そうとする。悩み多き年頃の子どもたちを温かく見守る素敵な物語。第五十七回講談社児童文学新人賞受賞作です。

映画賞を受賞したことで、すっかり学校でもてはやされるようになった拓郎。上映会をやろうというみんなからの誘いを断ったのは、賞に応募するに際して、秘密裏に主役を田沼涼子演じるリリーに入れ替えていたからです。学校の皆んなにも撮影に協力してもらっていた作品です。美少女である亜美菜ではなく、学校でもブスと呼ばれ、見下されがちな涼子を主役にしたのはなぜか。それは天才監督として、主人公が可愛い子であるというセオリーを崩したい反骨心だけだったのか。いつも露骨に口の悪い男子生徒たちから酷い言葉を投げつけられている涼子。席替えで涼子の隣の席に決まった男子が文句を言い出すのを、さりげなく、目が悪くなってから自分の後ろの席と代わって欲しい、なんて拓郎が言い出したのも「気になっている」からです。どうして、人は見た目で人を判断するのか。拓郎の叔父さんが何度もお見合いに失敗しているのは、チビでデブで、さらにハゲてきたからだと言います。ふつふつと拓郎に湧き上がってくるのは「世の中見た目じゃねえ!」という思いです。大切なのはハートなのだと。映画制作のアシストもしてくれる親友の榎木は、さりげなく涼子を気遣った拓郎のことを尊敬すると言ってくれるのですが、拓郎としては、カッコ良く頭も良くモテてばかりの榎木にそう言われても、なんだかモヤモヤするのです。それはおそらく自分はそんな立派な人間ではないと思っているからでしょう。クラスではどんなに悪口を言われても、いつもさりげなく受け流している涼子。美術部で彼女が独創的な創作に打ち込んでいることも拓郎は知っています。次回作の準備をしなければと思いながらも、何も手につかなくなって、人は見た目かどうかと考え込んでいるのは、あえて核心に迫らないようにしているからです。自分が次第に涼子のことを好きになっている真実に、少しずつ近づいていく拓郎。それなのに気持ちとは裏腹なことを言ってしまい、涼子を傷つけることになってしまったりと、お約束通りの上手くいかない展開が続きます。それでも見た目の良い亜美菜や榎木たちが抱える悩みを知ったことで、拓郎は次第に自分の気持ちを真っ直ぐに見定めていくのです。

多かれ少なかれ、人は見た目なのでしょう。風采が上がらない方が良い、というのは逆説的にも成り立たないと思います。一方で人を見た目で判断するというのは、志が低いと行為だと言われるところです。中学生なんて、まあ、即物的なものだから、見た目が良いことが正義です。そんなルールがまかり通る世界で、見た目が良くない子への愛を叫ぶことは、なかなか勇気がいることです。主人公の拓郎は、実はわりとカッコいい外見をしています。服装には無頓着で、ダサさを自認していますが、他の子たちからすると、そうは思われていないようです。なので拓郎自身には、それほどコンプレックスはないわけですが、彼がこの世界のルールである「見た目が肝心」に疑問をもったのは、見た目が残念な田沼涼子に魅力を感じていたからです。一方でそのことを押し通して田沼涼子主演の映画を作り、周囲を協力させるまでのパワーはありません。ということで葛藤するハメに陥ります。この右往左往ぶりが実に楽しい物語です。自分の価値観を貫くことができずに、人にどう思われるかを恐れてしまう。世間の目よりも自分の感性に従うこと。これは表現者としての拓郎が越えていく壁でもあるのだろうなと思います。ところで、拓郎が作った映画『本町商店街のリリー』は、突飛な内容ですが、ちょっと社会批判なども入っています。本町商店街はアウトレットモールができたことでさびれていました。突如、現れた巨大怪物はアウトレットモールを襲い、欲望のまま全てを食べ尽くします。やがて怪物の向かった先は本町商店街。田沼涼子演じる女主人が営む肉屋で、彼女が丁寧に作ったコロッケを食べたところ、その美味さに怪物もノックアウトされ、やがて肉屋は大繁盛、商店街も復興するという筋立てです。事件の前も後も変わらずにコロッケを丁寧に作り続ける女主人というキャラクターに拓郎が仮託したものがあります。その役は彼女でなければと思った時点から、始まっていたことがあるのでしょう。コロッケもまた国内児童文学の中では象徴性のある正統派のアイテムですね。