九時の月

MOON AT NINE.

出 版 社: さ・え・ら書房

著     者: デボラ・エリス

翻 訳 者: もりうちすみこ

発 行 年: 2017年07月


九時の月  紹介と感想 >
緊迫するイランの政治情勢。イスラム教シーア派のホメイニ師を指導者とする革命勢力が、国王を国外に追放し政権を握ったイラン革命が起きたのが1979年。国民、そして民主主義の勝利によってイスラム教の厳格な戒律に回帰したイランには新しい秩序が生まれます。その翌年にフセイン大統領が率いるイラクの侵攻が起き、イラン・イラク戦争が勃発したことで、国内ではさらに厳しい統制が行われるようになります。革命以前には富裕層しか通えなかった名門校に、成績優秀であれば一般家庭の子も無償で入学できるようになるなど、民衆にとってはプラス方向の改革もありました。ただし、戦時下での政治的弾圧はより厳しくなり、「反革命的な行為」は取り締まられ、粛清されていきます。学校でも厳しい指導が行われ、いつも監視の目が光っている。民主主義ではあるけれど、西欧的な自由が許されない世界。イラン革命の時に五歳だったファリンも現在、十五歳。使用人が何人もいる裕福な家庭で育った彼女は成績優秀で、名門校に通うものの、満たされない気持ちを抱えていました。追放された国王の復権を望み、瀟洒な生活を好む、民衆を見下し続ける母親と、難民を安く使うことで儲けている建築業の父親。両親に反感を抱きながらも、裕福な生活をし、秘密裏に手に入れてもらったアメリカのTVドラマのビデオを見て育った彼女。学校では浮き上がった存在で、友だちもいない。楽しみはファンタジー小説を書くことだけ。そんなファリンが「運命の人」に出会ってしまったことで、物語は大きく動いていきます。しかも、悪い方向に。けれど、何にも代え難い人生の歓びとともに。「命がけの恋愛」が静かに始まり、密かに盛り上がり、二人の少女の運命は大きく転変させられていきます。是非「手に汗握る」なんて慣用句そのままの、残りページの少なさを心配する読書をお楽しみください。圧巻の読後感にしばらく何も手につかなくなること、お約束します。

どこからか流れてくる音楽。学校で弾くことを禁じられているサントゥール(イランの伝統的な弦楽器)の音色に誘われて、校内を探し歩いたファリンは、物置き部屋で一人、演奏をしている少女を見つけます。今日、転校してきたという彼女の名はサディーラ。学校で誰ともつきあわなかったファリンが、彼女には心を許せたのは何故だったのか。戦争で多くの家族を亡くし、失意の父親の介護をしながら勉強を続けてきたサディーラ。成績優秀で美しい心をもった彼女と親しくするうちに、ファリンは友情以上のものをサディーラに感じていきます。それはサディーラもまた同じでした。 一緒に勉強をし、互いを高めあい、その心の秘密を共有していく二人。ファリンは詩の朗読会で、サディーラに自分の秘めた思いを打ち明けようとまで想いを募らせていきます。一方、イランでは正規軍以外にも、革命防衛隊という治安組織がその勢力を拡げ、反革命的な思想の持ち主を厳しく取り締まっていました。その干渉はファリンの学校にも及び、ついには生徒の中に逮捕者も出るようになります。見せしめのために無惨になぶり殺される人々。そして、イスラムの戒律にそむく同性愛者もまた、反革命分子とみなされるのが、この世界なのです。ファリンとサディーラに運命の時が迫っていました。学校の中の密告者によって、窮地に立たされた二人は、それでも、自分たちの心を貫くことを選択します。さて、どうなるか。どうしたら良いのか。物語は佳境へと一気に駒を進めていくのです。

得恋の有頂天ぶりが余すことなく発揮されています。かなり舞い上がっている。こんなにも甘く真摯な恋愛の物語を読むのも久しぶりです。二人が互いを思い、綴っていく言葉の数々。駆け引きなどなく、真正面から愛し合う一途さ。「九時の月」は、離ればなれになった時でも互いを想い合う二人のランドマークです。こんな手放しの恋愛は危なすぎて、見ていて心配になる程で、もっと警戒しないとマズイぞ、と、こっちがハラハラしてしまいます。読者としても、それほど二人が愛おしくなってしまうんですね。同性愛の人たちが過酷な運命を迎えることは、過去の歴史上の話ではなく、現在でもまだどこかの国では続いていることです。人が大切にしているものや、守らなければいけないと思っているものは、それぞれ違います。大切なものを守るためには死力を尽くして戦わねばならない時もあり、逆に同様の理由で迫害されることもあります。マイノリティはまさに少数派であり、異端者ですが、破綻者や異常者ではない。けれど異端者を排斥することが、正義として行使される世界もあるのです。国の正義に抗える、心の正義とは何か。絶望的な状況の中、二人で死のうとするのではなく、なんとしても二人の生き延びて幸せになろうとするファリンの強い意志に心を動かされます。この圧巻の物語を是非、手にとって欲しいと思います。