わたしがいどんだ戦い 1939年

The War That Save My Life.

出 版 社: 評論社

著     者: キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー

翻 訳 者: 大作道子

発 行 年: 2017年08月


わたしがいどんだ戦い1939年  紹介と感想 >
子どもを育てたことのない気難しい独身の年配女性が、手のかかる子どもを預かることになり、大いに戸惑う物語は、児童文学の中で時折、見かけるパターンです。もっとも有名なのは『赤毛のアン』だろうなと思います。子どもたちの方もまた、色々な意味で難しい子たちです。実の親と一緒に暮らせない事情は様々ですが、だいたいは大人との距離を上手くつかめていないタイプです。子どもと打ち解けるのが苦手な大人と、素直に大人に甘えられない子どもが、すれ違いながらも、少しづつ距離を縮めていき、最後には本当の親子以上の絆で結ばれる、というのは出来過ぎな話で、将来への期待を持たせつつ終わるあたりが、絶妙というところでしょうか。入念に描かれる、その歩み寄りのプロセスは説得力をもって響いてきます。なによりも児童文学として、子ども側の視点から描かれることで、その距離感のもどかしさを読者として堪能できるところが素敵です。この物語はそうした黄金パターンのバリエーションでもあるのですが、実に読ませる、息をのむことの多い作品です。子どもも大人も、言葉とは裏腹な、その心の裡が、なんて切ないのだろうと思います。もう、いじらしくて愛おしくて、イヤになってしまうほどなのです。なんとなくポップな感じの表紙には騙されます。2018年の読書感想文の課題図書にも選ばれている作品ですが、全国の高校生には、是非、この手に取りやすさに、まんまと騙されて、この本を読んで欲しいと思います。そして、「この本にはだまされたよ!」と、幸福な読後感とともに呟いてもらえたらいいなと思うのです。

ロンドンでのエイダの暮らしぶり。生まれながらに、片足の足首から先が横を向いている内反足という障がいを抱えているエイダは、普通に歩くことができず、家の中をはって生活しています。父親はおらず、母親はパブに勤めて、エイダと弟のジェイミーを育てていましたが、食事も衛生面も行き届かず、それどころかエイダを「奇形」と呼んで蔑み、外に出ることを禁じていました。そして、時に子どもたちに体罰を与えていたのです。窓から外を見ることしか楽しみのないエイダ。近所の人たちはそんなエイダを、頭が足りない子だから学校に通っていないのだろうと思っていました。転機は、思わぬ形でやってきます。1939年。戦時下のロンドンではドイツ軍の空襲に備えて、子どもたちの田舎への疎開が進んでいました。これに乗じて、エイダはジェイミーと一緒に母親の元から逃れることに成功します。ロンドンの南東部にある田園地帯、ケント州。ここに着いた二人には、なかなか家で預かってくれる引き取り手が見つからず、子どもを預かる気のなかった中年の独身女性のスーザンの家に無理に預けられることになります。望まれて迎えられたわけではないものの、スーザンの家での新しい暮らしが始まります。自分の誕生日さえ知らされないまま、虐待されて育ったエイダ。その心は頑なだし、これまで社会的なマナーを身につけることさえできなかったため、不自然なふるまいしかできません。その曲がった足で歩くことが困難なように、普通の暮らしの一歩を踏み出すことは、とても難しい。それでも松葉杖に助けられるように、人に支えてもらうことで歩き出すことができるのです。人の心が回復するには時間が必要です。エイダは遠回りをしながら、それでも確実な一歩を踏み出していきます。彼女の「戦い」を一緒に見守りながら、是非、手に汗を握って欲しいと思うのです。

エイダとジェイミーを預かったスーザンもまた、地域コミュニティに溶け込んでいる人かというと微妙なのです。女性ながらオックスフォードに通い学問を修めたものの、働かず、資産を手放しながら暮らしている。牧師である父親とは反目したままという、おそらく当時の田舎町では、浮き上がった存在です。賢いけれど、かならずしも出来た人でもないスーザンは、二人を預かりたくなかったと口にすることあります。そんなスーザンに妙に丁寧な言葉で、辛らつなことをいうエイダ。その関係性が絶妙です。エイダの少しズレたところがなんだかとても面白く、どうにも悲しいのです。スーザンは良くしてくれるけれど、ここでの暮らしは長く続かない、そんな諦め。ずっと蔑まれて育ったエイダは、ほめられても喜ぶことができず、パニックを起こしてしまうのです。色々なものが手に入ってしまうことが、悲しい。それは、自分にはそんな資格がないからだと思っているからです。いつか失われる未来を恐れて、今を喜べない。そんなエイダに心を寄せていくスーザンの変化もまたグッときます。トータル的にグッときてばかりの作品なのですが、この感覚を感想文として、言葉をふるって繫ぎ止められる強者の高校生に期待します。ところで『刑事フォイル』というイギリスで制作されたテレビドラマシリーズが、ちょうどこの頃の、戦時下の市民生活を描いたもので、その田園風景などイメージが浮かんできました。ビジュアルの力は大きいですね。戦時下であっても、まっとうな倫理観で犯罪に対峙する刑事の物語ですが、当時の「時局」こそが見どころだったりする作品です。