出 版 社: 岩波書店 著 者: ジョイス・キャロル・オーツ 翻 訳 者: 神戸万知 発 行 年: 2014年01月 |
< 二つ、三ついいわすれたこと 紹介と感想>
思春期の子は色々あって大変ですよね、なんて簡単に総括してはいけません。家庭事情もそれぞれだし、容姿や才能の差もある。学校で見せている表向きの顔からだけではわからないのが思春期の胸のうちです。ひそかに胸を痛めている、ぐらいならまだしも、過食や拒食などの摂食障害や、自傷行為、誰かれかまわぬ性的依存あたりにまで発展すると、もはや通院治療が必要となります。なんとか普通にやれているように見えるけれど、メンタルバランスはギリギリで一触即発の状態。ごく普通の子たちの中にも、そんな「思春期病棟」予備軍が多いのではないかと、こうした作品を読んでいると思ってしまいます。揺れる平均台の上で、かろうじて足を踏み外さずに踏ん張っている。でも、さざ波が立っていた心に大波が打ち寄せれば、受け止めきれずに流されてしまう。そんな時、誰に助けを求めたらいいのか。大人には絶対、話せないことがあります。思春期の切羽詰まったメンタルと、そこにもたらされた「救済に似たもの」を描く、なんというか、色々あって大変な作品です。
同級生のティンクが死んだことは、友人たちに大きな衝撃を与えました。死因は教えてもらえませんが、恐らく自殺ではないかと考えられています。原因不明の突然の死。でも、それをはっきりさせることも耐えがたい。ティンクの死という事実に向き合うことは、喪失と悲しみを正面から受け止めることだからです。テレビドラマの子役スターとして活躍していたティンクは、芸能界を引退した後も、一風変わった個性を身につけた高校生でした。小生意気で、誰にもこびず、孤独を気取るアウトロー。そんな彼女と親しくしていた子たちがいました。どうしてティンクは、自分たちを置いていってしまったのか。彼女の死を受け入れることは、自分自身の心の問題と折り合いをつけることと重なっていきます。メリッサは正統派の美人で優等生。早々に一流大学への入学が決定して、誰もがうらやむような子です。それでも、彼女が不安に苛まれ、自傷行為を続けるのは、ミス・パーフェクトでなければ愛されない自分自身に葛藤しているからです。軽率で、おバカタイプのナディアは、男の子に誘われれば安易についていってしまいます。愛情を希求する気持ちが極端に強すぎて、トラブルを引き起こしてしまうナディア。こんな時にティンクがいてくれたなら。ティンクのことを思いながら、彼女たちは直面した問題を自分たちの力で解決していきます。ティンクならこんな時、なんて言ってくれるのだろう。ティンクのいない世界で、これからの世界を生きていく彼女たちの姿。かつての友情と、新しい友情を手がかりにして、これまでの自分自身を越えていく力強さを持った、心の再起の物語です。
この物語の中でティンクはすでに亡くなっています。それは絶対の事実であり、読者はティンクの残像だけを見せられています。彼女の友人たちがティンクに抱いているイメージは理想化されていて、幾分、カッコ良すぎるきらいもあります。突っ張って、肩で風を切りながら生きていたティンク。その雄姿に憧れる気持ち。でも、等身大のティンクもまた、悩める十代の少女ではなかったか。この物語の主人公であるメリッサもナディアも、自己肯定ができないまま、愛されたい欲求に焦がされています。自分に辟易しながら、アンバランスな心を持てあましている。それでも、生きていかなければならないのです。物語の最後に訪れる「救済に似たもの」について考えさせられます。無論、ティンクは甦るわけではないし、夢オチでもありません。実はティンクは自殺ではなかったのではないか、という可能性もありますが、それも、結局はどうだっていいことです。物語は、死んだティンクのためにではなく、これからを生きていく子たちのためにあるのだから。彼女たちの未来を照らす希望がほのかに灯り、その光を見ているかも知れないティンクの姿が、なんとなく思い浮かぶあたりが、ちょっといい感じ、という匙加減の物語でした。