母さんが消えた夏

Middle of nowhere.

出 版 社: 講談社

著      者: キャロライン・アンダーソン

翻 訳 者: 田中奈津子

発 行 年: 2014年06月


母さんが消えた夏 紹介と感想>
母さんが突然いなくなったことは誰にも言ってはいけない。弟のアーティーに兄であるカーティスがそう言いきかせているのは、それがバレたらどんなことになるか良くわかっていたからです。何故、母さんがいなくなったのか。その理由もカーティスにはなんとなくわかっていました。シングルマザーでガソリンスタンドに勤めながら二人を育ててくれていた母さん。子どもたちのためにもっと良い仕事に就こうと夜間学校に通って、高校卒業資格をとろうとしていた母さん。でも、母さんは「そでをちぎったTシャツを着ているような男」にも惹かれがちなのです。何も言わずに帰ってこなくなってしまった母さん。カーティスは弟のアーティーの今の年齢と同じ5歳の頃に一度、福祉事務所に保護され、里子に出された経験があります。その時の辛かった記憶から、福祉事務所に世話になったら、今度は弟も自分のように酷い目にあわされるだろうと警戒していました。カーティスは母さんが帰ってくるまでお金を節約して食いつなぎ、他の大人たちには気づかれないようにしようと決意します。しかし、手元のお金は底をつき、アパートの大家さんからは家賃の督促を受け、児童手当の小切手を換金することもできないまま、カーティスは途方に暮れてしまいます。そんな時、近くに住む、ひとり暮らしの変わったおばあさんにカーティスは声をかけられます。歩行器につかまらないと歩けないおばあさんはカーティスに買い物などの手助けを頼みたいと言いますが、本当に助けが必要だったのは、むしろカーティスたち兄弟の方だったのです。

みなぎる緊張感と流れるような文章。一気に物語に引き込まれます。11歳と5歳のまだ幼い兄弟が、大人に頼らないどころか、誰にも気づかれないように母親の帰りを待ちわびている姿のいたわしさ。ご近所コミュニティもない都会生活の子どもたちは、親がいなくなれば、完全に周囲から孤立してしまいます。読者は子どもたちの家庭環境や、母親の人となりがわかってくるに従い、複雑な思いを抱かされます。そんな母親を信じて待っている兄弟たち。その健気な姿にはぐっときます。兄のカーティスだって子どもなのに、弟をなだめすかしながら頑張っているのです。「残された子どもたち」のお話は、児童文学だけでなく、映画やドラマなどでもよく物語のモチーフになっています。結局のところ、「大人に相談する」しか解決策はないのかと思うのですが、そんな当たり前のことに一歩踏み出すことにさえ子どもは勇気を必要とするのです。子ども心のプロセスこそが実に読ませる物語となる。親が突然いなくなるほど、子どもの心を激しく揺り動かす事件はなく、これ以上にショッキングなこともないのですよね。

この作品には交差するもう一本の線があり、それが物語にうるおいを与えてくれます。兄弟と親しくなった近所のおばあさんの名前はバートさん。ちょっと偏屈なところのあるバートさんですが、兄弟の事情を知り、食事をふるまってくれたり、相談に乗ってくれるようになります。やがて、バートさんは自分が所有している湖のそばの小さな小屋で、夏休みを過ごそうと兄弟を誘います。母さんをアパートで待ちたかったけれど、このままここにいて、大家さんに警察をつれてこられてしまうことを恐れたカーティスは、弟と一緒にでかけることにしました。バートさんは、かつて、この湖で大きな心の痛手を負っていました。孤独な魂同士が触れ合う時、新たなドラマが生まれます。しかし、どんなに他人が優しくしてくれても、子どもたちにとって母親以上の存在はいないのです。もう少し成長すると、親を客観的に見て、疑念を抱くようになるかも知れませんが、ただただ母親に一途に思いを寄せられる子どもの時間の美しさも、この物語の中に結晶のように輝いているような気がします。そんな時間を愛おしむことができる作品です。

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