出 版 社: 徳間書店 著 者:ディルク・ラインハルト 翻 訳 者: 天沼春樹 発 行 年: 2017年12月 |
< 列車はこの闇をぬけて 紹介と感想 >
旅の仲間。どうして旅に仲間が必要なのかいえば、一人では旅の目的を達成できないからです。グアテマラからメキシコを縦断してアメリカ合衆国に密入国する。それは危険な旅であり、無事、アメリカにたどり着けるのは百人のうちわずか一人という難関です。途中で引き返さざるをえないこともあれば、命を落とすこともある。お金もビザもなく公式なルートで入国することができない彼らは、貨物列車の屋根の上に乗って移動し、国境をすり抜けるしかありません。国境警備隊に捕まることもあれば、山賊や犯罪組織に襲われることもある。そんな過酷な旅に挑むには、一人よりも仲間がいた方がいい。ましてや子どもと呼ばれる年齢であるのなら。故郷を離れ、まずはメキシコ入国を目指す十四歳の少年ミゲルが最初に目指したのは青少年難民センターでした。そこに集まっている子どもたちの目的は皆一緒です。食堂で偶然、同じテーブルについていた五人の少年少女は、一緒に旅をする仲間になることを選択します。バラバラに行くよりも一緒の方がうまくいくかも知れない。そう言い出した年長の少年フェルナンドは、これまで三回、アメリカへの密入国に挑戦し、果たせないままでいました。ミゲル、フェルナンド、インディオのエミリオ、年少のアンジェロ、そして唯一の女の子であるヤス。五人の旅は、こうして始まります。これがファンタジーではなく、リアリズムであることに震撼させられます。現代の南米を舞台にした「冒険」の物語は、どうにもならない悲しみを湛えています。ただ、旅の終わりに彼らが見つけ出すものには、少なからず、胸を打たれるはずです。
子どもたちがアメリカに行こうとしている理由。それは、家族を探すためです。世界有数の貧しい国であるグアテマラや南米の国々では、いくら働いても生活が楽にならない。しかし、アメリカで働けば、わずか一年で、本国では一生かかっても貯められないお金を稼ぐことができる。シングルマザーとして二人の子どもを育てていたミゲルの母親も、ゴミを拾い集めて生活費の足しにするような暮らしから抜け出すため、アメリカに渡り、金持ちの家のベビーシッターになりました。お金を送ってくれたものの、二人を迎えに来るという約束は果たされないまま年月は過ぎていきます。ミゲルは母親に期待して待っていることに倦んでいました。母親は自分たちをどう思っているのか、はっきりさせるために、母親を訪ねることにしたのです。他の子どたちもまたアメリカに行ったままの家族と再会しようとしていました。アミーチスの『クオレ』の月曜講話、というか、単体の物語として有名な『母を訪ねて三千里』のような、出稼ぎに出たまま帰らない母親を探す旅。酷い人間にだまされることもあれば、思わぬ善意に救われることもある。そのあたりは変わらないところですが、旅の途上で通過するメキシコの辺境のデストピア感はかなりのものですし、うっかりしていると死ぬ、ぐらいの危険が牙を剥いているのです。麻薬中毒者と麻薬販売組織と、子どもを買いにきた外国人観光客しかいないような違法の町もあります。そこで生き延びて、国境を抜けるための突破口を探す。そんなハードな旅の中で、縁もゆかりもなかった子どもたちが仲間として絆を強めていくあたりにはグッとくるものがあります。
年長の少年、フェルナンド。彼がいなければ、この旅はあっという間に終わっていたでしょう。おそらくは第一関門であるグアテマラとメキシコの国境のチアパスにさえたどり着くことはできなかったはずです。密入国を斡旋する犯罪組織や闇ルートにもコネがあり、未経験の仲間をリードするフェルナンド。スレた性格で、時として、悪態をつき、仲間にも冷徹な態度をとる彼ですが、不思議と最後には仲間を守ってくれる。彼の態度は屈折していますが、垣間見せる、その複雑な心の機微が切なく、魅力的です。母親や国に残してきた妹を思う純真なミゲルと、少年を装って旅をするヤスが、苦難の旅の中、心を寄せ合い恋心を育ていくあたりも良い感じです。見ず知らずだった彼ら五人が、窮地の中で心の絆を結んでいく姿に、感じ入るところの多い作品でした。巻末の作者と翻訳者によるあとがきで語られる、この物語の背景にある南米からの密入国による移民事情も読み応えがあります。ドイツの作品ですが、舞台となった本国メキシコでも高く評価されたということも、この物語のリアリズムとしての信憑性を裏付けます。トランプ大統領の公約であった、メキシコとの国境に壁を作り不法移民を妨げるという施策について、改めて考えさせられる作品です。翻訳児童文学から知る世界情勢、というものもありますね。そこに物語としての面白さが加わっています。同じ時代を生きる、日本の子どもたちにも、是非、読んで欲しいと思います。