千個の青

A Thousand Blue.

出 版 社: 早川書房

著     者: チョン・ソンラン

翻 訳 者: カン・バンファ

発 行 年: 2021年10月

千個の青  紹介と感想>

競馬の騎手をヒューマノイド(人型ロボット)に行わせる利点は、そのボディが軽量に設計されているため、競走馬が最大限のスピードを出せることです。時に時速100キロを越えるそのスピードによって騎手が振り落とされたとしても、騎手は怪我をしません。落馬して壊れたロボット騎手は廃棄処分にすればいいだけなのです。騎手のロボット化によって、これまでにないスピードの競争を観客は楽しめるようになりました。一方で、競走馬は全力疾走により関節を痛めやすく、その生命はきわめて短くなります。競走馬としての生命だけではなく、走れなくなった馬は簡単に殺処分されてしまうのです。この物語は、後にコリーと名付けられる、ちょっと変わった騎手ロボットを中心に展開していきます。「ちょっと変わった」個性を、騎手ロボットが持ってしまったのは、偶然と手違いによるものでした。製造過程で誤って学習ヒューマノイドのためのソフトウェアチップを埋め込まれてしまったコリーは、騎手ヒューマノイドには不要な学習能力を搭載していました。あらかじめ千個の単語がインプットされており、文章を組み立て、思考することができる。この特性のため、コリーは不必要に探究心があり、考え深くなってしまったのです。厩務員の男性ミンジュに質問ばかりする、おかしなロボット。そんなコリーは、自分のパートナーである競走馬、トゥデイが限界を越えるスピードで走り続け、命を縮めていることを知り、自ら落馬することでその動きを止めようとします。下半身が壊れて、廃棄処分を待つばかりだったコリー。そこからの出会いがコリーに二度目の「人生」を与え、コリーの存在が人間たちの心に大きな影響を及ぼしていきます。第4回韓国科学文学賞長編部門大賞受賞作。人間の心の綾を紐解き解体する、SFでありYAであり、深く感銘を受ける一冊です。

ごく近未来(2035年)の韓国を舞台にした物語です。現在よりも医療や工学テクノロジーが進んだ世界。単純労働をロボットが代替する社会は理想的なようで、人間は仕事を奪われて、就業することがとても難しい状況となっています。現実でも、進学や就職において、過酷な競争社会である韓国。この物語ではさらに社会は厳しさを増しています。十五歳の少女、ウ・ヨンジェはロボット工学に特別な知識や才能を持ちながらも、けっして優等生ではなく、学校でも目立たない存在です。家も豊かではなく、どこかレールを外れてしまったような疎外感を抱き続けています。ロボット工学の道に進みたいと思いながらも、自分が本当は何をしたいのかわからない。母親の関心は自分よりも、足が不自由で車椅子生活を送っている姉のウネに向いており、ヨンジェは複雑な愛憎を抱きながら姉の世話をしています。ある日、近所の競馬場にいる競走馬のトゥデイに会いに出かけたウネを探して、自分も厩舎を訪れたヨンジェ。そこで彼女が出会ったのが、壊れて廃棄されるのを待っているロボット、コリーでした。空が青いなと考えていて馬から落ちたと言う、騎手ロボットらしくないことを話すコリーに惹かれたヨンジェは、アルバイトで貯めたお金をはたき、コリーを買取ります。コリーを自力で修理することに夢中になっていくヨンジェ。そんなヨンジェに学校で声をかけてきたのは、ロボット製作会社の社長令嬢で優等生のジスです。ヨンジェの才能に目をつけたジスは一緒に次世代ロボットのアイデアコントストに出場することを持ちかけます。見返りにジスからコリーの修理用の資材を提供してもらったヨンジェは、無事、コリーを復活させます。千個の単語しか持たないコリーの素朴な疑問は、時に深淵を穿ち、コリーとの対話によって、周囲の人たちは気づきを与えられていきます。そんなコリーが強く表明した意志は、殺処分が決まったパートナーの競走馬、トゥデイを救うことでした。ヨンジェは姉のウネとともに、その計画を実行に移していきます。 

ヨンジェだけではなく、足が不自由な姉のウネや、今は一人で食堂を切り盛りして娘たちを育てているものの若い頃は俳優だった母親のボギョンの心境がこと細かく語られていきます。それぞれに失意を持ちながら今を生きている彼女たち。その内面は一緒に暮らす家族にも明かされることはありません。関節を痛めた競走馬のトゥデイに思いを寄せるウネ。コリーと対話することで、過去に閉じ込めていた思いが開放されていく母親のボギョン。動物との意思疎通は一方通行になりがちです。ロボットもまた感情を持ってはおらず、人間に共感することはありません。そんな関係性の中にあっても、人が心を通じさせていくことが描き出されていきます。まったくタイプ違いソリが合わないヨンジェとジスの二人もまたパートナーとして力を合わせていきます。共感や理解を越えて、人は心を通わせることができる。名伏しがたいその感覚を、愛と呼んでも良いのかも知れません。コリーがトウディに寄せる気持ちもまた興味深いものです。自分自身は感情のないコリーは、それでもトゥデイの歓びが何かを捉えています。それを最優先させるためには自分が毀れることも厭わない。それは単純な優先度を判断するロジックによる計算結果なのかも知れないけれど、どこか「気持ち」が見出されてしまうのです。登場人物たちそれぞれが封じ込めていた心象や障壁はこのロボット、コリーとの関わりによって、紐解かれ、落ち着ける場所を見つけていきます。ゆっくり走る、ということの意味について。過去を乗り越えるためには、現在を幸福にしなければならないのだということについて。ごく当たり前のようで、あらためて気づきを与えられる真理が輝く物語です。いくつかの象徴性のあるテーマが登場人物たちの心象とクロスしていきます。コリーというロボットの心映えを、美しく感じとってしまうのは人間の感受性の為すところですが、読者もまた自分の心の動きをあらためて意識させられるはずです。女性たちの気が強く、勝気であることは韓国の物語でよく見るところであり、そこに韓国の競争社会の影響を思わされますが、厩舎員のミンジュやヨンジェのバイト先の店長などの中年男性たちの力の抜け加減もまた良いところでした。なんとなく不甲斐ない感じに共感してしまうのです。もちろん、共感しなくても楽しめる物語です。